岐阜県大垣市の郷土玩具「鯰押さえ」が吹田市博に登場するそうですね。ここでは、縁(ゆかり)の山車カラクリについてご紹介します。
滋賀県から愛知県にかけての中部日本には、カラクリを伴う山車(ヤマ)が曳き回される祭礼がたくさんあります。国指定重要無形民俗文化財の祭礼も数多く、岐阜県では春秋の高山祭がよく知られていますが、西濃(岐阜県南西部)地区もその宝庫であることはご存じだったでしょうか。ちなみに、この地域では、山車のことを「車」へんに「山」と書いて「ヤマ」と読ませています。役所の公文書や保存会の名刺もこの漢字を用い、人によっては、なかなかにこだわりを持って使われていますので、ご注意ください。しかし、この字は大漢和辞典にも載っておらず、PC表示もできないので、ここでは「ヤマ」と書いておきましょう。
さて、これらのヤマの中で、鯰押さえのカラクリをもつヤマは、なんと3つもあります。正確には、①大垣まつり(岐阜県大垣市)の鯰ヤマ(魚屋町)、②綾野まつり(岐阜県大垣市)の鯰ヤマ(横丁(よこちょう)瀬古・綾野第5、第6自治会)、そして③片山八幡神社祭礼(岐阜県池田町)の市ヤマの、3ヶ所の祭礼で同趣向のカラクリが見られ、そのうち③が最も古いといわれています。それによると、寛永年間(1624-45)、長い日照りで困った村人が雨乞いを行ったところ、大雨が降り、増水した田んぼを6尺の大鯰が泳いできたそうです。その鯰を神前に供え、神楽と鯰押さえのカラクリを奉納したのが始まりといいます。
鯰押さえのカラクリは、恐らく、禅問答の「瓢箪鯰」から発想されたようで、翁(漁夫?)が手にした瓢箪で鯰を捕らえようとするようすは、有名な妙心寺の「瓢鮎図」を彷彿とさせます。「鯰押さえ」という言葉自体は、「とらえどころないさまや人」を意味しますが、そのどことなくユーモラスな登場人物からの連想か、後に、ひょうひょうとした筆致で庶民に人気だった大津絵の画題になったり、ひょうきんな歌舞伎踊りに翻案されたりしました。また、「道外坊(どうけぼう)」という立派な名前のある①の翁は、青砥藤綱(生没年不詳、鎌倉後期)だともいわれています。藤綱は、10文の銭を50文使って探させたとか、お金に関係した逸話の持ち主で、江戸時代には文芸の名裁判官役として愛された人物です。なんだか、祭礼を伝承してきた町人たちの好みを反映しているように思えませんか。
対して、郷土玩具の「鯰押さえ」は、幕末、疱瘡封じのおまじないとして漢方医・見沢祐碩(ゆうせき)が作ったカラクリを、大垣藩士・長谷川佐賀吉が玩具として考案したものが原型で、動く人形が珍しかった明治・大正時代に流行したものの、次第に廃れ、佐賀吉から習い覚えた倉橋良一が、後に復元したのが現在のものです。
「ハアー、ハアー、押っさえたか、チカラカチンチン」 軽快なお囃子にのせた気取りのない歌詞に合わせ、瓢箪をもった腕を上げ下げさせて、鯰をねらう赤頭巾の翁。対する鯰はのらりくらりと尾をひねって逃げ回ります。どちらかというと単純なしかけなのですが、急転換や回転など、激しくも、意外に写実的な動きに、思わず笑みがこぼれる楽しいカラクリで、鯰ヤマは11両も出る大垣まつりのヤマの中でも、とても人気のあるヤマです。春秋の行楽に岐阜のカラクリ行脚、おススメですよ。
(岐阜県博物館 南本有紀)
コメント
面白そうですね。
祭りはそれぞれいつ頃にあるのでしよう?
というより、人出の多いところが苦手な私は博物館とかで見ることができれば嬉しいなと思うのですが、きっと各まちの所有で大切にしまってあるのでしょうね。
さらに、動くのを見ることができるのはまつりの時だけだったりして。。。。
コメントありがとうございました。
大垣まつりは5月15日に直近の土日、綾野まつりは10月第2日曜日、池田町の祭礼は4月第2日曜日に行われます。
カラクリとは関係ないけれど、大垣まつりには400とも500ともいわれる屋台が出て、買い食い天国 楽しいですよ