館長ノート No.1

吹田市立博物館館長小山修三氏は、声が大きく色黒でどうみても飲み屋のおっちゃんですがなかなかのアイデアマン。いかに博物館を宣伝するかを一生懸命考えられています。

こんな館長ですが、民族学(オーストラリア・アボリジニ)、考古学(縄文時代)がご専門の国立民族学博物館名誉教授でもあります。

この館長がまたもや一肌脱いで、特別にこのブログで千里ニュータウン展に寄せるコメントを発表されますのでお楽しみに。 (片岡)

- ニュータウン思想の背景 -

1.ニュータウンという考えはイギリスの産業革命にその起源があるようです。大都市に人が集まりすぎた結果、スラム化が起こり、住環境が悪化した(19世紀末のロンドンの上水道はドブ水に近かったそうです)。人々は、緑豊かなふるさとのまちを想い、自然と親しむことのできる町を作ろうと、田園都市構想が生まれたのです。(Haward 1898)

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2.ほかに、ヨーロッパの古い都市では緑を確保用にグリーンベルトをつくっていました。
●飛行機で飛ぶ機会があれば注意して見てください。

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3.しかし、都市を改造するのは大変な金と時間がかかります。そこで、人のいない郊外地に衛星都市という、新しい町をつくるという提案がでます。
●私の限られた経験からいうのですが、アメリカやオーストラリアのまちは、ある意味ではほとんどが森や野原につくったニュータウンですね。そういえば、ニューヨークとかニューハンプシャーとかNEWのつく地名の多いこと。

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4.千里NTの直接のモデルとなったのはペリーの近隣居住区論です(Perry 1929、 The Neighbourhood Unit)。ペリーはニューヨークでの調査に基づき、自動車の増加という新しい要素をくわえて、中央部に交通その他の機能を集め人口を集中させる地域をつくる。また、地区をいくつかに分け、各区で学校、商店などをおいて、小さなまとまりのよい居住区を作ることを考えた。
● これらの「学説」を実現するために、いくつかの計画が試されましたが、金がかかりすぎと、理想と現実のズレが大きく、計画倒れになったり、部分的なものにおわったようです。

 

コメント

  1. てつ より:

    ほんま ほんま 今日 はじめてお会いして ますます 飲み屋のおっちゃんを 確信いたしました 嘘 いやぁ 人は外見で判断してはいけないとの 最大の事例ですね(^_^;) 出来れば 一度 杯を受けてみたいもんです(^^ゞ

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