ホクサンバスオールがおこした革命
11月14日の委員会は大変盛り上がりました。そのなかの話題の一つにホクサンバスオールがありましたが、それに刺激されて考えたこと。
千里ニュータウンでは、それまでの長屋に、水洗トイレとダイニングキッチンをとりいれたのだから、大きな前進だったのですが、風呂は取り込まなかった。銭湯で十分というのが、設計者の考えだったのでしょう。
ところが、入居者は、これが気にさわる。そこに、ホクサン・バスオールがあらわれた。
初期のものはなんと1mx1.4m、タタミ1枚に満たない大きさだった。しかし、ベランダがいかに狭くとも、半野外で寒くとも、取り込みを断行した(そのため、銭湯がしだいに消えていった)。ベター・ライフを希求する庶民パワーは誰も止められないのだ!
インターネットで検索すると(このブログ、hasegawaコメント参照)ホクサンバスオールは、1970万博でブレーク、80年代には北海道の一戸建てで再び、とあります。これによって、長屋生活からの脱出に成功、核家族型の現代生活を獲得に成功したのです。
その効果は、いくら新しく登場した核家族用とはいえ、小さすぎる2DKという、ウサギ小屋からより大きな住居空間への動き、建て増し、建て替えへとつながった。だから、大げさに言えば、あれは革命のための蜂起の旗、発火点は千里ニュータウン、それが燎原の火のように全国に広がったといえるのではないでしょうか。
その結果、「銭湯が消える」現象がおこります。
これに対して、日本人は民族学的に見ると、特殊で奇妙な反応をしています。広い浴槽にゆったりつかる、混浴も平気(すたっているのは残念、北欧ではふつうですけど)、裸の付き合いが一種の社交場となり、コミュニティーの連帯ができる。資源の節約にもなる。
その背後にあるのは江戸時代からの伝統でしょうか、あるいは縄文時代?からの温泉でしょうか(サルまで入っているといって外国人はおどろいていますが)。今日のスーパー銭湯や温泉ブームの隆盛もありますしね。
●銭湯マップをつくる
●ホクサンバスオールは(破片でもいいから)、初期のものをぜひ発掘したいとおもいます。破片でもいい、博物館の得意技です。いつもは土器のカケラを並べているんですから。成功すれば、追求作業そのものが、話題になりますよ。
■これを昔の住人に見てもらったところ、返ってきたコメントです。
1)ホクサンバスオールの「破片」っていうのが可笑しいけれど、いっそ破片ばっかしあつめるという手もあるのかも。
2)公団が設計に取り入れた先進的(?)な思想は、(食寝分離の)ダイニングキッチンと、水洗の「洋式」トイレなんじゃないでしょうか?水洗の和式トイレは(初期の公団にはあったそうなのですが)NT内ではなかったように思います。正座したりしゃがんだりしない生活の始まりだったのではないでしょうか。
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