館長ノート 11

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内なる目と外の目
NT展のモノ集めや展示をするにあたって「市民委員会」はどんな視点にたてばいいのでしょうか、ただ漫然と集まったものだけ並べるというわけにはいかないでしょう。
文化人類学者は(特定の)社会へフィールド調査にでかけるとき、二つの異なる視点をもつよう教えられます。他者としてみる外からの目(eticエティック)、と内部からの目(emicエミック)です。外からみる目の、もっとも極端な例は、サル社会を望遠鏡で見るというケースでしょう。遠くから彼らの行動を観察して、ボスはどれか、順位はどうなっているか、餌さがしや子育ての役割などを読み取る方法です(サルに聞くわけにはいきませんから)。
これに対して、内なる目とは、自分で自分のムラを記述する場合でしょうか。たとえば、私の故郷では、神社から火伏せのお守りをもらってきて、台所の柱にさかさに貼りつけるのですが、どうしてさかさに貼るのか、それがなぜ火災予防になるのか、説明しろと言われると(当然だとしてやっていることなのに)、どうもうまく説明できない。なんだかんだと理由は述べ立てるのですがね。しかし、そんなディテールが地域や家族によって異なるところが、文化の多様さをしめすことになるのです。
簡単にいえば、前者は客観的データをあつめて、文化を比較し、通文化的法則をみつけだす、これに対し後者は、主観的データの集積によって文化の多様さ、深さを知るのに適しているといえるでしょう。

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市民委員会が千里NTにかぎってモノを集めるるならば、ひじょうにemicなものになる、見にくる人も、ほとんどがそうでしょう。しかし、一方で、60年代中頃から後半という時代区分をもうけ、食事、服装、教育などのテーマをたてれば、他の地方との文化比較が可能になるので、日本のなかでの位置づけが明確になるでしょう。emic的であればあるほど普遍性を持つ(館長ノート8参照)ということはそういうことなのです。

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館長ノートがNo.11になりました。No.10までのタイトルをご紹介します。

【館長ノートもくじ】
1 ニュータウン思想の背景
2 千里ニュータウンの構想
3 設計の基準寸法
4 奈良の町で考えたこと
5 ホクサンバスオールがおこした革命
6 自然環境へのインパクト
7 癒しの場
(ピンチヒッター編) ふるさと意識と神社仏閣
8 おしゃべりなモノたちー「歴史」になっていく「現在」
9 阪急と千里ニュータウン
10 時代区分について

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