初期の自動改札機

1967年3月、北千里延伸と同時に、日本初の自動改札機が北千里駅に導入されました。メーカーはオムロン(当時は立石電機)です。 初代の改札機は、「切符用」と「定期券用」が別の機械でした。券幅が違う両者を揃えてまっすぐに送り出す技術がなかったためです。 切符は当初から現在と同じく磁気を塗った券でしたが、定期券はパンチ穴の開き方で区間や有効期限を読み取る方式でした。すごく分厚い、固い定期券でした。

この初代の改札機は、「切符用」と「定期券用」が別々だったため、入口は「切符入場」と「定期入場」と(回数券や他社連絡切符などの)「非自動化券入場」(つまり係員がいる)の3つに分かれていました。出口も、「定期出場」(これは機械)と「切符出場」(…これは係員がいた)に分かれていました。切符出場が自動化されていなかったのは、つまり他の駅で売られた切符は全部昔ながらの機械非対応の切符だったため、人が集めるしかなかったからです。「日本初の全自動化駅」と言っても、実際には人手で補っている部分がかなりありました。それでも定期の客を改札機でさばけるだけでも、鉄道会社としては大いに省力化になると考えたようです。

あまり覚えている方は少ないかもしれませんが、このうち「切符入場」用の改札機は、最初1週間ほどは(遊園地にあるような)ターンバーを自分の手で押して前に進む方式でした。切符を入れて→ターンバーを押して前進して→切符を取る、という方式。手がふさがるし不評だったのか、わずかな期間でバーが自動的に開く方式に改造されました。(定期券用は最初から入出場とも自動でした。…複数の方式を比較実験していたのかもしれません。)

そういう試行錯誤があっても「日本で初めての」自動改札機のある駅は、住民の大きな誇りでした。電車の線路が来ただけでもうれしいのに、日本のどこにもない「未来の」駅だったんですから!

当時私は小学校一年生でしたが、北千里駅ができた最初の日、担任の先生がうれしそうにパンチ穴の開いた定期券を皆に見せて「みなさん!きょうは何の日だか知ってますか?そうですね、電車の駅がこの近くにもできました!」と言ったのを覚えてます。そのあと皆で駅まで見学に行きました。

自動改札機は二代目から切符と定期券を同じ機械で扱えるようになりました。この二代目までが、バーが上に開く方式でした。1973年に導入した三代目から、バーが水平に向こうに開く方式になり、阪急の他の駅にも普及していきました。

記憶がアイマイですが…四代目は三代目とあまり変わらず、五代目からラガールカード対応になり、今普及中のピタパ対応機は六代目でしょうか…?(もっと変わってるような気もする)いずれにせよ初期は試行錯誤もあったため、短い年数の間に機械がいろいろ変わったようです。メーカーも初期は立石だけでしたが、その後、高見澤や東芝など、複数のメーカーが参入しました。

(by okkun)

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【カンチョのコメント】オムロンの自動改札機のことが、PHP研究所発行の雑誌『THE21』2005年5月号pp.56~57(マンガ:添付ファイル参照)に出ています。北千里駅に最初に導入されたというコメントとともに描かれている機械は、初代のものと考えていいでしょうか?

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コメント

  1. KS より:

    1976年(80年だったかな)にサンフランシスコに行ったとき、地下鉄のBARTができて、確か自動改札でした。ハンドルが回る手押し式で大変だったような気がします。みんな要領がわからないで、とびこえていくひともおおかったなー。KS

  2. okkun より:

    カンチョ様へ PHPの雑誌のマンガですが、バーが上下に開閉する方式は初代(改造後)か二代目ということになります。「1967年北千里駅に最初の…」と書かれていますから、初代(改造後)と考えていいのではないでしょうか?NHKの「プロジェクトX 通勤ラッシュを退治せよ!」のホームページには初代機の写真が出ています。ただしこれは(後ろに写っている風景の角度から)たぶん定期券用と思われますが…。

  3. おーちゃん より:

    昨年韓国ソウルの地下鉄に乗りましたが、ソウルの地下鉄もくるくる回る三つのバーを押すタイプでした。
    http://japanese.tour2korea.com/01TripPlanner/Transportation/subway_main.asp?kosm=m1_4&konum=4

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