子どもの世界
日本のロボットが世界の最先端にあるのは、子どもの頃から「鉄腕アトム」のマンガを読んでいたからという意見を聞いたことがあります。また、手塚治虫を中心に動いてきた「マンガ」は、一時俗悪の代表とされながらも、いまや世界語となって、諸外国で翻訳、研究、アニメ、映画、おもちゃやアクセサリー界にまで進出して、日本の大きな知的財産になっています。
わたしたちはみんな、クマさんや怪獣、ロボットと一緒に暮らす生活からはじまり、成長して現在のふつうの人になっているのです。しかし、子どもの時代に刷りこまれた情報は、否定されたり手直しを加えられながらも、しっかり生きつづけています。ファンタジーを描いたり読んだりするのは大人だし、なかにはまだそこから抜けきれないオタクもいますね。
一人一人をみれば、大人は子どもを通過しているわけですが、社会としてみると、子どもの世界は確として存在しており、「文化」が生まれていると言っていいでしょう。そして、文化は時代とともに自発的、外発的に、ダイナミックな変化をみせながら、日本という地域的特徴をもち、細分すれば地方色をもっているのです。
そう考えると、千里NT展においても、「子ども文化」の展示は欠かすことのできないと思います。スペースの関係から、赤ちゃんの時から羅列的に並べるのか、学校という正統なラインをとるのか、それとも家族や友だちとの遊びの世界をとりあげるのか、頭の痛いところですが、うまくやって、観覧者のなかに子どもが含まれ、楽しめる展示になるといいと思います。
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写真は博物館からみた太陽の塔です。(お)
コメント
今、マンガやゴジラ、ウルトラマンのことを、なーんにも知らなかったら、「教養不足」と言われかねないですよね。小学生のとき好きだった怪獣物を聞くと、その人の年齢がなんとなくわかります。ちなみに、私はウルトラマン、ウルトラセブンの頃です。「マジンガーZの基地」を見積もった某建設会社の担当者は、おそらくわたしより10才ほど下じゃないでしょうか。
「ロボット」に夢中になっています。僕の授業で最近人気があるのがF.Lang監督(独1927年)のMETROPOLISです。その昔、手塚がラングの映画ポスターを見てインスピレーションされたらしい。ラングの映画では、いわゆる「ロボット」(HEL;キューブリックはこの名をパクッたのでしょうか。。。)をMaschinen-Mensch、つまり「機会人間」と名付けている。Robotと言う名前はチェコの劇作家Karel CapekのR.U.R.(1920年)と言う作品で初めて登場します。「robota」はスラブ系の言語で中世封建制度下の「雑徭」(ざつよう)、つまり、年貢となる仕事を意味するらしい。コンピュータ人類学に続け、今後はロボット人類学も注目する価値があろう。。。J