館長ノート 9

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阪急と千里ニュータウン
千里NTは日本最初の本格的なNTであり、世界からも注目を集めていることは大学の地理の教科書にかかれています(小林 1972)。ほかにも、最初とか「一番」があるでしょうか。
北千里線の「自動改札機」、これは、日本一早かったようです。自動改札機は南千里駅にあったのですが、いまのところ本体がみつかっていません。しかし、それ用の切符や、おしらせポスター、チラシなどの関連品は残っているかもしれない。写真はあるらしいので、いろいろ組合わせればおもしろい展示になるでしょう(機械の部分を復元するという手もありますね)。資料はどこにある?池田市の「財団法人阪急学園 池田文庫」におさまっている可能性が強いとおもっています。

千里ニュータウンと阪急という会社は切っても切り離せない関係にあります。まず、阪急による北摂の地域開発が千里ニュータウンのさきがけとなったようですし、千里山線が南千里駅(当時は新千里線)までのびたことでニュータウンが機能しはじめたことは明らかです。これによって人々は職場や学校に通うだけでなく、梅田や神戸にでかけ、沿線にあるデパート、宝塚歌劇、阪急ブレ-ブス、遊園地などの娯楽、レジャー、そして文化的施設があったので、それを楽しみ、懐かしく想いだすNTの住民もおおいはずです。

すると、阪急はこの展覧会の要素として、欠かせないものになるとおもうのですが。いちど有志があつまって池田文庫に出かけ、館長さんと談判しましょうか?
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「新千里山」という表記のある定期券を見つけました。
新千里山駅が南千里駅に改称されたのはS42.3.1。
購入日が2.25なのでぎりぎり「新千里山駅」名で発行されたもののようです。(ふ)

コメント

  1. okkun より:

    北千里駅が日本初の自動改札機導入駅であったことは、数年前のNHK「プロジェクトX」でも取り上げられていますね。「通勤ラッシュを退治せよ!」という回で、DVDも市販されています。メーカーはオムロン(当時は立石電機)です。初代の改札機は、「切符用」と「定期券用」が別の機械でした。券幅が違う両者を揃える技術がなかったためです。(この苦労話は「プロジェクトX」でも描かれていますが、若干話が端折られていて正確でない描写になっています。)切符は当初から現在と同じく磁気を塗った券でしたが、定期券はパンチ穴の開き方で区間や有効期限を読み取る方式でした。二代目の改札機から両者とも磁気式になり、機械も両用になって他の駅にも普及しました。

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