館長ノート 14

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千里ニュータウンの食
今回の展示に「食」はどのような形で登場するのでしょうか。
食は時代とともに大きく変化しますが、それが時代を映す鏡でもあります。食品はそのままで展示はできないので、食器や調理具それに調味料などをおいた台所にするか、実物ならばサテライトの部屋とかイベント時の模擬店でということになるのでしょうか。

一つの手がかりとして、学校給食をとりあげてみましょう。今では、家の食事よりも給食の方がいいという子どもさえいるそうですが、子どもの時に刷り込まれた記憶は意外とつよく、食卓を変えていく大きな要因となっているのではないでしょうか。
給食は、都市のスラム化が顕著になった産業革命の頃に始まったという意見もありますが(ニュータウンの起源と似てますね)、ここでは、第二次大戦後に話を限りましょう。
当時の日本は飢饉一歩手前の状態に追い込まれ、それをアメリカが援助するという形で都市部を中心にひろりました。1952年までには全国で完全給食がおこなわれるようになりました。

学校給食には、日本の経済的充実にあわせ、何度か方針の転換がありました(表)。最初は、1949から始まった、あの悪名高い脱脂粉乳。湯で溶いて、大ぶりのアルミの椀で飲ませる、ひどい味のものでしたが、それが1958年に牛乳に変えられたことで、「パン、牛乳、野菜」という簡便な食事を定番化させることになったと言っていいでしょう。
また、1976年に「ご飯」を出しはじめたことも大きな転機でした。パンとおでん、麺にキナコなどの奇妙なとりあわせが解消され、米飯を中心にした伝統的な食事が復権され、1983年のそれが郷土食の見直しにつながっていくのです。

ここでは、ごく簡略に給食の歴史を述べましたが、その間、時代と地域によって細かな工夫や変化がありました。千里ニュータウンという先進的な居住区で、給食にどんな変化があったかは大変興味のあることです。

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1932 学校給食臨時施設法(文部省訓令)
1947 学校給食開始(アメリカの援助による) 脱脂粉乳
1949 ユニセフ給食
1950 ガリオア物資による完全給食 (八大都市) 小麦粉
1952 全国完全給食
1954 学校給食法(給食センターの設置)
食事に対する正しい理解、望ましい習慣を育むと同時に、学校生活を豊か にし、明るい社交性を養うことを目的とする。
1958 学校給食用牛乳取り扱い要領(文部省) 牛乳
1976 米飯供給 ご飯
1983 学校・家庭・地域連携推進事業 郷土食

・ 思い出やコメントをおねがいします

コメント

  1. okkun より:

    ●脱脂粉乳 1966(昭和41)年にF台小学校に入学しましたが、2年生の頃までは脱脂粉乳でした。あの味を経験した最後の世代かも…?時々ちゃんと混ざってなくて、底のほうに大量の粉が沈殿してました。末期の工夫だったのか、たま~にコーヒー味とかヨーグルト味をつけた日があったのですが、これがまた…。 ●鯨の竜田揚げ 固くて不味くて私は一番苦手なメニューでしたが、食べられなくなるとなつかしい…。大人になってから一度だけクジラを食べたら…「クジラって、固くなかったんだ!」 ●カレーうどん 学校給食最大のオリジナル名作では?!当時は米飯給食がなくてカレーもうどんも単品では出なかったのに、カレーうどんだけは定番でした。

  2. NaritとKoro より:

    昭和40年代藤白台小学校で給食を食べていました。当時はアルミ製の食器でしたが、平成17年度に千里ニュータウンのK小学校で勤務していた時の食器は陶器でした。食器そのものも花柄でずいぶん見た目も給食がおいしそうに見えました。給食の献立そのものは今はナンやトムヤムクン風のスープなど多種多彩な献立が出てきます。もちろん米飯給食もありませんでした。今は人気NO1のカレーライスもあります。味も現代の給食の方がおいしく感じました。デザートは年に数回バブルフルーツというゼリーのような物や、バナナやミカン、りんごなどがありましたが、今は生ものは御法度なので、果実のゼリーが結構頻繁にだされます。一番おどろいたのは、昔は牛乳は常温で出されていましたが、今は大きな冷蔵庫で給食の時間まで冷やされています。食中毒などの対策からですが、夏に生ぬるい牛乳を飲んだことは昔のことのようです。

  3. NT育ちですが・・・ より:

    2大食だったんですかぁ??ポン菓子屋はたまに来てました。でも、あまり買ってもらえなかったな。ロバのパン屋は、えー、どうだっんだろう?買ってもらったことがないから、わかんない。ウチだけかもしれませんが、母はスキムミルクをつかって手作りのカルピスを大鍋いっぱいにつくってました。だから、カルピスは飲み放題!市販のものより、ちょっと酸味が弱い感じだったかな。夏休みは、濃~いのを、タッパーのアイスキャンデー型に流し込んで、冷凍庫で固めて、毎日食べてました。

  4. 35年前の小学生 より:

    はっきりは覚えていないのですが、給食センターができる前とできた後では、メニューが変わったような記憶があります。できる前は、自由度があったのか、パンのかわりにビスケットがついて、びっくりしたことがあります。たぶん乾パンのようなものだったのでしょうけれど、お菓子みたいでとても嬉しくて、毎日これだったらいいのに、と思いました。そういえば、終業式前にケーキがついたこともありました。

  5. カンチョー より:

    てつさまやokkunnへ:今日奈良のイタメシ屋のおやじとはなしてたら、小さい頃の2大食といえば、「ポン菓子」と「ロバのパン屋」だったといってました。千里NTの、あなた達の時代にはもうスタレていたのでしょうか。

  6. ks より:

    大阪に来て驚いたものの1つは、焼きそばパンでした。東京では見たことがなかったので。これも給食から生まれたモノではないでしょうか。

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