館長ノート 31

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モノに宿る魂ー展示品を集めてアニミズムの世界を見た

「できるだけ、千里ニュータウンでモノを集めて展示する」ことを本展の基本コンセプトにした。そうすることで、20~50年前にわたる、この地域における「民俗資料」の収集につながり、博物館の収蔵品を豊かにするだろう。(50年とは、今の子どもにとって、はるか昔のもの。かつて、文化財は50年より古いものをメドとする、という行政指導があったが、千里ニュータウンもあと数年でそうなる)。

実際に、モノを集めはじめると、集まりやすいモノと集まりにくいモノの差があった。はじめに気がついたのはおもちゃ。女の子はバービー、タミー、リカちゃんなどなど、髪を刈られたり、顔に墨を塗られたりしたものから、美術展示になるものまでけっこうたくさんあった。遊びとしては紙の着せ替え人形、飾りとしてはお雛さまの伝統を脈々とひきついでいる。「展示が終わったらかえしてください」というコメントが多かった。

これに対し、男の子もゴジラ、ウルトラマン、ガンダムなどの人形で遊んだはずだが、ふしぎと集まらない。「なぜなんだ?」、Fさんが「人形は捨てられないけど、怪獣ならいいんじゃないかしら」とさらりといった。「ひとがた」に「たましい」の存在を感じやすいことは経験的によくわかる。

予想外に苦戦をしたのが家電具だった。食器や調理具などの小型のモノは集まるが、冷蔵庫、クーラーなど大型のモノが出てこない。理由を簡単にいえば、ニュータウンの家が狭いので、大きいものはさっさと捨てるからだろう。冷蔵庫については、木のモノならありますよといわれた時、そうか、スチールやプラスチックという素材は、まだ日本人の精神世界に食い込むほどの歴史はもっていないのではないかとおもった(ソフビの怪獣にも通じる)と思った。

東北地方はイタコやオシラサマなど、土俗的な精神文化が色濃く残っている。民俗資料館にいって家具展示の場に入ることを拒否した(インテリの)人がいた。「なぜ」、「髪を引っ張られる・・」。彼女は箪笥や桶などにも「たましい」のあることを感じるのだという。もっともこれは、イノシシやクマなどの動物ばかりか針、包丁、眼鏡の塚をつくったり、着物やはきものを寺や神社に託して供養する行為としてのこっている。

魂は人だけでなくすべてのモノにやどるという思想はアニミズムとよばれ、(一神教以外の)世界の民族にひろくみられる。科学の時代に踏入って、日本人のあたらしい生活様式をひらいたと言われる千里ニュータウンでも、その影がかいまみえるのである。

絵は、安芸早穂子・画『縄文時空』(NHKブックス『縄文学への道』表紙より)。

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