1960年代は石油化学工業の成長期で、紙や木などの天然素材に代わってプラスチックが、家庭用品や建材(バスオールの素材FRPもプラスチックの一種ですね)、おもちゃなどにどんどん使われるようになっていきました。
安っぽい、環境に悪いなど、マイナスイメージがついてまわる素材ですが、何といっても子どもに人気のあったのはおもちゃはプラスチック製です。その代表選手は、男の子だと乗り物や怪獣のプラモデル、そして女の子は着せかえ人形でしょう。
日本でバービー人形が売り出されたのは、アメリカ本国での発売から遅れること3年、1962年のことでした(千里ニュータウンの入居が始まった年ですね!)。そもそもバービーは、アメリカの会社が、人形本体、衣装ともに日本で製造させたもので、戦後日本の輸出産業の原点のような存在だといえるでしょう。洋服もお人形のものとあなどるなかれ、ちっちゃくても、デザイン、縫製ともにすばらしい品質のものだったのです。今、その技術が再評価され、オークション市場ではその頃の日本製のバービーが驚くような値で取引されているそうです。
その後、日本生まれのスカーレットちゃん、リカちゃんなど、さまざまな着せかえ人形が登場し、女の子のおもちゃの定番になっていきました。(そして、製造地も日本から他のアジア諸国へと移るのです。)
なまじプラスチックだけに、朽ちることのない着せかえ人形たち。ネット上でなつかしい顔と再会したン十年前の少女たちは、記憶を呼び覚まされ、幸せな時間を取り戻そうとするかのようにコレクションに没頭しているとか。これは、ゴジラやウルトラマンなどヒーローものにのめり込んでいるン十年前の少年たちと相通じるものなのでしょう。女の子の世界もしかとあったのです。
60年代から70年代生まれの着せかえ人形を探しています。おうちに、一緒に遊んだバービーちゃんやリカちゃんが眠っていませんか? (京子)
★写真は、前回の飛騨高山・小林さんのコレクションにある女の子のオモチャです。
コメント
日本で製造されたバービー人形の記事を見て、私がまとめた展覧会を思い出しました。「オキュパイド・ジャパン展」というやつ。占領下の日本で作られた「やきもの」などに代表されるものたちです。著名な陶芸作家たちも、フジヤマ・ゲイシャの絵付けをさせられ、アメリカに輸出されたのです。戦後それらは粉々につぶされ、工房の片隅に埋められたり、納屋の奥に秘匿されたり、散々な運命をたどったようです。占領下、陶芸作家のプライドはずたずたにされたことを思い知らされましたね。「オキュパイド・ジャパン」-今そんなことはないですよね・・・。
おままごと 好きでした 大きくなっても好きでした 幼い頃は 葉っぱのお金 少し大きくなったら タカラの人生ゲームならぬ 「運命ゲーム」のおもちゃの紙幣を使い 散髪やさんごっこ・・ ありがとう いくら? 近所の今日子ちゃん 「2億円」 「そう ぢゃあ10億円からおつりちょうだい(^^)」 横で見てた母親 「あんたら そんなけったいな遊び 外でしなさい^_^;)」 やっぱ 千里も大阪か?皆 吉本の血が流れてまふ(^^ゞ
ブログの写真を見ていると、夜店で虫の飛ぶ下で売られていたおもちゃセットみたいですね。女の子にとってやっぱりおままごとは大好きな遊びでした。ご飯は砂を入れたり、ご馳走は木の実や葉っぱをちぎったり・・。その頃から私はお料理好きでした(?)