今年の春は、千里は雨の日で始まりました。ひなかざりの季節ですね。
立派な段飾りは見ごたえのあるものですが、千里のような団地では部屋も狭く、子供が大勢いた頃はなかなか皆さん苦心されたようです。
市民委員のAさんは、ご夫婦と、3人の娘さんとで団地に暮らしておられました。「雛飾り」を買ってやりたかったのですが、場所がありません。そこでAさんが考えたのは…松屋町の問屋街に行って店頭の豪華な雛飾りを当時流行していた8ミリフィルムに撮り…、娘の友達を集めて室内の白い壁に投影し「ほーら、うちのおひなさんはどこのよりも大きいでー」とやったそうなのです。このアイデアは大うけ。
ところが娘さんが「おとうちゃん、このおひなさん値札がついてる!」と叫んだのでまいりました…という思い出話。
親心があって、団地の狭さを8ミリフィルムという当時のハイテクで逆手に取る機転があって、しかもオチがついている…というなかなか大阪らしいお話なのでした。
なんかこういう話を聞いていると、「人口減少の町」「オールドタウンになったニュータウン」っていう、しょぼくれたステレオタイプなイメージが崩れるような気がしませんか?千里住民は住まいの狭さも逆手にとって、いろいろ工夫をして暮らしてきたんですよね。「多機能をコンパクトに収める工夫」は、まさに日本人が世界に誇れる得意技で、携帯電話などもその延長にあります。団地って、そういう工夫の源になったんじゃないでしょうか?
(by okkun)
コメント
千里NTに入居した主力の年齢層は、団塊より少し上ですから、その子どもたちは日本全体でみると団塊と団塊ジュニアにはさまれた谷間の世代なんですけれど、一挙に入居がはじまったので、子どもがあふれてました。初期の、ほんの数年間のことですけれどね。今は、千里ならずとも道路で子どもが遊んでいる姿なんて滅多に見かけませんが、NTの道路は、あちらこちら袋小路になっていて、とてもいい遊び場でした。子どもの自転車が道路にずらーっと停まり、配達のトラックのおじさんが通れなくて、仕方なく車を降りて自転車をよけたこともあったとか・・・
かしこい子 めちゃ多かったですよぉ やっぱ 同じ団地の棟に 同級生の女の子二人いて 二人とも 川端康成さんの後輩 小学校6年のクラスメート48名のうち 途中 受験の為 東京に越したの一名含め 解ってるだけで 東京大学3名 早稲田1名 神戸大一名 他 女の子が康成さんの後輩が3名いました 東大に行ったうちのひとりは東映映画「海猫」のプロデューサー そう 生まれて初めて エンドテロップ目的(ほんとうは 美咲ちゃんの ○○かも^_^;) 中3時のクラスメイトの女の子は 先日の同窓会で 高校の時 はかせたろう君の家庭教師してたと言うてたもん^_^; ありましたなぁ 入江塾 谷村塾(津雲台) 青山塾(佐竹台) 有名な あ・・ど忘れ(^^ゞ
私も「谷間世代」ですが、NTでは小学校なんか毎年増築しまっくてましたね。広い校庭がすぐにいっぱいになってしまって衝突が絶えなかったので、児童会で学年ごとに校庭の使用時間を交代にするか…?なんて話し合った記憶があります。NTの小学校は一挙に作ったわりに一校ずつデザインが異なっていて、すごくモダンで楽しい感じの外観だったのですが、増築部分のあとのほうほど余裕がなくなって、個性もクオリティもかまってられない感じになってしまいました。豊中市立東丘小学校のHPでは、あまりにもドラマチックな、児童数の激増→減少→微増の推移をデータで見ることができます。
http://www.toyonaka-osa.ed.jp/higasiok/jidousuu.html
特定世代に人口構成が極端に偏っていることは、昔も今も、千里NTを見るときに一番ベースにおいて考えるべき要素ですね。
教育ママが多いというのも団地(集合住宅、戸建住宅かかわらず一団のという意味)特有の現象で、特に集合住宅の場合顕著に現れます。集合住宅の場合、生活そのもののが均質(住居、生活水準、家族構成など)なため、隣近所に色々な面で水準を合わせようという意識が働きます。実は、オイルショック時のトイレットペーパー騒ぎもそれが影響しているのではと思っています。先日、当時千里にお住まいの主婦の方々のお話をお伺いして、トイレットペーパー以外のものを水洗トイレに流してはいけないと説明を受けていたので、トイレットペーパーがなくなると日々の生活がやっていけないのであの騒動になったと聞きましたが、果たしてそれだけが理由か疑問です。それはさて置き、その影響で千里育ちの子ども達も高い水準で均質に育ち、飛び抜けた才能が目立ち難いのかもしれません。
おかきた’まりです。同世代がたくさんいたということは、競争も激しかったのでしょうか?