観蝶日記-ギフチョウ-
ギフチョウは春の女神。オオムラサキが雑木林のキングとすれば、クイーンの名にふさわしい。この二つを対に目玉として展示したい、と語るSさんには、いまだに戦前の昆虫少年のあつい血が流れているようだ。
問題はこの2つのチョウについて、千里ニュータウン内での捕獲記録がないことだという。あまり厳密な実証にはしると、分布図がかけず、まして、近代以前に特定のチョウはいなかったことになりますよと牽制球を投げたら、それでは、昔々、紫金山で難波宮の瓦を焼いていた頃、カタクリやスミレ、サクラの蜜を求めてやってきていたという、「童話」にしましょうという答えが返ってきた。すばらしい、文化展示はイメージが第一なのです。
ギフチョウは九州?、四国はいない、本州特産で、北限が秋田県あたり、その北は北海道、樺太にまでのびるヒメギフチョウの領域、食草であるカンアオイと密接に関係して特殊な分布を示す。
縄文都市とまでいわれた三内丸山遺跡は、約6000年まえにはじまった気候の温暖化の周期のなかで花ひらいた。その頃の青森の気候は今の仙台くらいだったという。そこに目を付けて、縄文人はギフチョウを見たかというコラムを「東奥日報」紙に書こうとしたことがある。ところが青森の採集家がギフチョウは豪雪地帯にしかいないといいはった。
素人のわたしには論戦もしんどいので、その場はクロアゲハにかえて逃げた。その後、あきらめきれずに聞き回っていると、岐阜県では里山で普通にいますよと言うし、北摂の山地にも60年代までは、捕獲の記録がけっこうあって、豪雪とは関係ないようだ、地域によって想入れがつよいものだ、むしろ問題は縄文人がギフチョウとヒメギフチョウを見分けられたかどうかですなー。
オオムラサキとギフチョウが絶滅に瀕していることは紛れもない事実である。しかし、さすがにこの二つのチョウのスターは、いま飼育・増殖の努力がおこなわれている。
いちどは姿を消したホタルがいま各地でよみがえったことをおもいだす。エノキやカンアオイを植え、カタクリやスミレをふやし、雑木林をまもって放蝶されたあともチョウが生き続けることのできる、大きな生態系をつくりだす。それができるかどうか、今、声高に叫ばれている環境保護には、そういった細かな配慮を必要とする時代になっているのだと思う。
伊丹市昆虫館からオオムラサキとギフチョウの標本をお借りします。
チョウの写真は、http://www.iip.co.jp/zukan/ からとらせていただきました。
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