グループの大きさについての民族学的考察
久さんが、先日(4/30)のヤングフォーラムで「町づくりの活動グループは、20人以上いないとツライ」といったのを聞いて、オーストラリアで調査していた頃のことを思い出しました。
北海岸のアボリジニは、民族学者がバンドとよぶ4~5家族、約30人の集団で暮らしています。自然にある動・植物(食料)をあつめて生活するにはちょうどいいサイズで、世界の狩猟採集民に共通してみられる集団のあり方です。そんな村にいて、人の数と共同作業にかかわる集団には微妙なメカニズムのあることに気がつきました。
川の畔に3家族、20人ほどの小さな村がありました。女たちは川で魚やカメをとり、森で山菜をとりますが、コミュニティのトラックが基本食品である小麦粉やカンズメを週に一回は運んでくるので、家族の食をととのえ、子供をそだてるといった日常生活を守ることが中心のようでした。
徒歩で30分くらいの所には大きな沼があり、ここにいるカササギガンと途中の林にいるカンガルーを、3人の男たちが毎日交代で出かけてとっていました。ところが、その1人が、遠くにある実家のムラの用事のために、家族を連れていってしまうと、狩猟シフトが機能しなくなり、人々の必死の努力にもかかわらず、ついにはムラそのものが立ちゆかなくなってしまったのです。15人をきるとムラがきえるという例は他にもたくさん目にしました。
集団サイズが大きくなりすぎても問題が生じます。わたしが居候していたムラは、リーダーの手腕もあって、どんどん人が増え、一時は80人ちかくにまでなりました。ところが、そのころから活気が喧噪にかわり、内輪もめがおこり、怒った20人ほどのグループが出ていってしまいました。さいわい、残った人数が多く、結束も固かったので、ムラは何事もなかったように存続したのです。そういえば、かつての自民党で、田中軍団が力を持ち膨張して100とか120の集団になったと聞いたとき、アボリジニのムラのことを思い出して、危ないなとおもったのですが、やはり、そのとおりになりました(ちなみに、派閥はムラと呼ばれていたそうですね)。
千里ニュータウン展の市民委員会は、谷川委員長が自慢するマジックナンバーの44人、チームワークよく(激論もしばしばですが)、効果的にうごいています。人間の集団原理は時代や空間を越えて共通しているのだなあと、感嘆しています。
【写真は、1986年アボリジニのムラにて・・・赤いシャツを着ているのはコヤマカンチョーです。】
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