館長ノート 35

観蝶日記:モンシロチョウ -春の癒(いやし)か、沈黙の春か-

モンシロチョウがたくさん飛び始めた。チョウの姿に春の訪れを感じ、ついあの童謡を口ずさんでしまうのは、日本の古い景観-里山を舞台にした生活へのノスタルジーからだろう。ところが、チョウには癒しの風景とは相反するおそろしい裏面がある。友人のT氏は、自然愛好家で家庭菜園に励んでいるのだが、モンシロチョウをみると顔つきが変わる、「あいつらにキャベツを食われてしまう」。
人類が安定した生活を営むようになったのは、栽培植物を発明したからである。田や畑という好条件の施設を作って、おいしい植物をたくさん育てるので、これさいわいと虫や獣が利用する。そこで、人-栽培植物-昆虫という、切っても切れない関係ができあがる。

モンシロチョウは、1860年に(本来の分布地でない)アメリカ大陸、カナダのケベックで初見、その後わずか30年で、大西洋岸から太平洋岸まで、アメリカ全土のキャベツ畑を占領してしまったという。また、南半球のオーストラリア、ニュージーランドという植民国家にも分布しているので、ヨーロッパのキャベツ栽培との密接な関係があることは明らかである(日浦 勇 『海をわたる蝶』2005[1973])。
すると、モンシロチョウは日本の土着種ではないのかもしれない。つまり、食草であるアブラナ科の栽培植物とともに、弥生時代、最近の研究ではすでに、縄文時代に、大陸から持ち込まれていた可能性が高い。

昆虫の害は、自給自足で人の力でやっている時は、そうでもなかったようだ。しかし、栽培面積がふえ、機械力にたよる大量生産の時代になると問題は深刻になる。害虫駆除にもっとも効果的だったのが殺虫剤であった。しかし、農薬の長期間の使用が環境に与える問題-私たちの背筋を寒からしめるような深刻な影響については、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で描き出したとおりであり、日本でも農薬によって、ホタルをはじめ多くの昆虫が姿を消したという、自然の荒廃ぶりは、身をもって思い知らされたことだ。

それでも、最近、チョウを見かけることが多くなったと思う。ひらひらと舞う姿を見ていると、私たち日本人は、経済効果だけを追求する社会のこわさを反省して行動できるまでに進んだのかもしれないと思う。しかし、こんな癒しの時間は、今ここだけのものかもしれない。爆発的に増えている発展途上国の人口増加、それをどのように養うかということが、脳裏をよぎるからである。

コメント

  1. フラーっと より:

    お婆さまへ 寒い日には火よりも一枚羽織りましょう。ちょっとは何かの足しになるかも知れません。「地球温暖化」も文明国の因果応報と言うことですよね。異常気象などは「宇宙船地球号」の自己調整機能なのかも知れません。長い宇宙の歴史の中でうたかたの泡と現れ泡と消えるのではないでしょうか?あんまり短いスパンで物事を考えないほうが楽しいよ。それより館長の著書「森と生きる―対立と共存のかたち historia」で良いこと書いてありますよ。物言わぬ森と人間の戦いまだお読みでなかったらお薦めします。是非お読みください。

  2. より:

    「爆発的に増えている発展途上国の人口増加、それをどのように養うか」ということだけが蝶を愛でる館長さんの敵ではありません。地球の温暖化ですぞ。単に平均気温が何度か上がるだけではないのです。異常な気候の変動が起こるといわれています。既にみなさまお気づきかと思います。今年はいつまでも寒い春でした。それも、暖かいor暑いと思っている次の日は火が恋しいと思うほどに寒い。(でも…灯油代が…高い!)今年の農作物がどうなってしまうか心配している、4人の孫のいる婆は、この孫たちが私たちと同じような飢えない人生を送ることができるのか心配で死ねません。

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