9/10シンポジウム「景観史の視点からみた日本」

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「何度も起きた『日本沈没』」
総合地球環境学研究所助教授 内山純蔵氏

景観は、自然と文化の相互作用でできあがったものである。景観の大変化を「日本沈没」ととらえ、歴史を俯瞰してみると、今まで大きな「沈没」がくり返し起こっている。
ニュータウンは里山という景観を沈没させてできてきた。
しかし、里山も稲作とともにできてきたものであって、それ以前の景観を沈没させていたと考えられる。

縄文時代以後の景観を考えたとき
1)縄文時代の貝塚消滅(西日本の前期から中・後期)
2)古墳/律令時代の「弥生里山」沈没
「後背丘陵=grassland, pasture land; 平野部=条里水田」景観の出現
3)近年の棚田景観/近世里山の沈没
4)ニュータウン景観の出現・・・現在の景観の原型 などがあろう。
「沈没」はけっしてネガティブなものではない、むしろ新しい世界の創造の契機である。

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「商品化する景観:近世以降の近江の事例から」
総合地球環境学研究所 研究支援推進員 カティ・リンドストロム氏

景観は、人の思いや感情、記憶を含むものである。また、ある景観を美しいと評価するのは、その文化の規範によって評価されるもので、学ぶものである。
人は、身近な景観を客観的に認識していない(電線は、多くの外国人が気になるものだが、多くの日本人は見えるものなのに、見えていない)。
日本では、現在の景観ではなく、過去の景観(里山など)を理想化し、単純化された景観を求め、商品として消費している。

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「生者の村と死者の村」
國學院大学文学部兼任講師 中村 大 氏

青森平野の縄文遺跡から、縄文の文化的景観をみる。
集落の要素の構成が時代により変化している。
縄文中期には、住居(生者の場)、埋葬(死者の場)、モニュメント(まつりの場)がひとつの集落のなかにあったが、縄文後期になると、自然の変化に対応して、住居と埋葬・モニュメントが分離、住居は平野部に出ていくが、埋葬の場は台地の上に残る。
晩期になると、その傾向がますます強まる。モニュメントがなくなる。
こういった景観の構成は、精神世界の表現になっていると考えられる。

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「死の都市・都市の死-幽霊が語る都市の景観-」
県立高知女子大学文学部助教授 高岡弘幸氏

幽霊・妖怪譚のある場所をプロットしてみると、昭和初期までは、
妖怪のうち天狗・山姥は山地に出没、河童は里・村に出没し、
幽霊はおもに、まち(都市)に出るといった傾向がみられた。
→都市に武家屋敷や豪商屋敷のようなプライバシーのある場所が成立し、無縁仏が出現し、消費社会になってきたのがその原因。

ところが、現在は・・・
妖怪が消滅し、幽霊ばかりになった。
しかも、特定の場所に憑(つ)くものが減少、異界がバーチャル(実体を伴わないもの)になってきている(=パソコンやケータイにあらわれるなど、場所を特定できなくなってきている)。

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全体討論

Q エストニアの自然は?
A 北海道を思い浮かべてもらえば。。。

Q 縄文時代の吹田は?
A やはり人口は東に多く、西にはうすかったと思われる。
同じニュータウンでも多摩ではたくさんの縄文遺跡が出ているが、千里にはない。これが東に多く西に少ないことをしめしている。

Q 将来の吹田の景観をどうすべきか?
A 何が理想の景観かは、こうだと一つに決められるようなものではないだろう。これから吹田の人が考えつくっていくもの。

(ぼら+おーぼら)

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