青森県・三内丸山遺跡を見学して

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「博物館見聞録」をはじめます
今、博物館は氷河期にあると言われ、休館や廃館に追い込まれるものまででています。吹田の博物館もニュータウン展の成功など曙光が見え始めましたが(それは、ひとえに市民の力だとわたしはおもっています)、まだまだ悪戦苦闘中であることは、皆様ご存じのとおりです。しかし、全国で、博物館員たちが生き残りをかけ必死にうごきはじめていることは、ポスターをみるだけでもわかります。なかには、旭山動物園(ちなみに動・植物園はれっきとした博物館の1つです)、九州国立博、金沢市の近代美術博など大きな成功をおさめているものもでています。このあいだ、METからの訪問者と話したとき、アメリカでは博物館が社会的にいえば上昇機運にあることを聞きました。 わたしは、博物館を見る機会が多いので、これからは、できるだけその報告を書き、ブログにのせたいと思っています。ただ、それをわたしの意見開陳の場とするのではなく、みなさんにも、積極的に参加していただきたいと思います。
(カンチョー)

第一回目は、10月14日、加福友之さんが、三内丸山遺跡を訪ねられました。そのリポートです。

文化は渡来するものなのか?

日本の文化は鉄と稲が西日本に渡来した弥生時代から始まると考えられ、それが長い間の常識だった。縄文時代という時代があったことは教わっても、そのIMAGEは甚だしょぼくれたもので、(小山先生のような風貌・体型の)狩人が猪を追いかけ、竪穴住居に住み、土器で煮た団栗をぼそぼそ食べているというものだった。

ところが、どうだろう。
巨大な建造物、様々な住居の群落、精巧な土器に漆器。
どれをとっても凄い技術なしにはあり得ないモノばかりだ。
このような技術を身につけた人々が4500年も前の日本のこの青森の三内丸山で生活していたのである。
三内丸山遺跡公式HP

1000年前は平安時代、
2000年前というと卑弥呼より前だ、
3000年前、日本史には縄文時代という以外、特別の記述なし、
4000年前、日本史には縄文時代という以外、特別の記述なし、

ところが遥か4500年前の遺跡が公園風に整備されて目の前に広がっている。
何か白昼夢を見ているような妙な気分に襲われた。
この三内丸山の出現が考古学、歴史学の世界のみならず日本の「大事件」になったのは当然だ。

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帰阪して三内丸山遺跡の話をすると例えば「その土器はどこから来たのか」という反応を示す人が多い。文化は外からしか来ないとする日本の教育の徹底ぶりを示すもののようだ。

梅棹先生曰く、
「古代というと文化の起源をすぐ中国大陸に求めようとするが~悪いクセです。日本にも~独自に発達した技術があって当然だ。
~中国と日本に別個に同時発生して平行に進化した技術があった。むしろ日本から中国大陸に伝播した技術があってもおかしくない。
~日本にも黄河文明とかメソポタミア文明に匹敵する「縄文文明」という古代文明があったと見るべきやないか。
~同じ文字のない社会でも、インカ帝国のように発達した文明を達成した例もあるんやから。」(*1)
梅棹先生は1950年代から、日本にはしっかりした文明・文化の統合原理が存在するのだから諸文化をつまみ食いしても大丈夫だと、日本文明に対する自信を示しておられる。(*2)
先生は三内丸山の出現で益々、日本文明に対する自信を深められたに違いない。

日本の土器は世界一古いものだという。1万6千年前のものが99年に青森から出土している。(*3)
土器によって、生では食えない植物を煮て食うことが可能になったのだから土器は画期的発明である。その土器も従来はメソポタミア文明で発明されたものが世界中へ広がったと説明されてきた。ところが、日本からメソポタミアより遥かに古い年代の土器が出るのだから愉快ではないか。

いわゆる四大文明から全ての文化が周辺に波及し、そのお蔭で周辺の我々が文明に浴することになったというのが従来の説であった。
しかしそれが否定されたのだ。

縄文人が我々の直接の祖先かどうかは別としても、文化・文明は四大文明の専売特許ではなく、文字は持たなかったにしても日本でも文明への動きが確かに存在したのだ。

如何に強固に見えた通説・常識も一つの遺跡発掘によって覆されるということは愉快な反面、何か不思議な感じさえする。以前の通説・常識でそれなりに世界が説明され一応納得できていたのに科学・学問・好奇心は余計なことをする宿命を負っている。

確かなことは通説・常識も覆される面白い時代に私達が生きているということだ。

(*1)梅棹忠夫・小山修三・岡田康博<鼎談:週刊朝日960524号記事を載録>「黄河文明に並ぶ三内丸山「縄文文明」があった」武田紀久雄編著『梅棹忠夫先生と縄文の会 -三内丸山遺跡からのかがやき-』pp.73-81、北の街社、1997。
(*2)梅棹忠夫「アマチュア思想家宣言(「思想の科学」1954)」 『梅棹忠夫著作集』12巻、中央公論社、1991。
(*3)小山修三「世界最古の土器」梅棹忠夫編著『日本文明77の鍵』pp.28-30、文春新書、2005。

(by 加福共之)

写真:
上 三内丸山遺跡風景
下 青森県三内丸山遺跡対策室の岡田康博さんの説明を受ける
(撮影 こぼら)

 

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