この間、久しぶりに東京国立博物館にいって特別展「仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り」(会期:12月3日(日)まで)を見てきました。
人が大変よく入って、待ち行列が出来ていました。東博と言えば、昔の帝室博物館のお上の威光のようなものをつい感じるのですが、雰囲気がずいぶん変わっていることに気がつきました。それは国宝、重文クラスのものが、一部を除いてオープン展示になっていることでした。もちろん、触っていいのではなく、ロープで緩やかな結界がしてありました。さらに驚いたのは、観覧者がそれを当然のことと受け止めて鑑賞していること。写真撮影についても、禁止の標識が特定のものをのぞけばでていない。ほー、と思ってあたりをみまわすと禁止札がほとんどみあたらない、あっても小さなものが控えめに。
むかし大英博物館の古代ギリシャ室で、大きな絵付け壺をみて感動し、つい触ろうとしたら(民博で、触っていいという露出展示を始めたばかりだったので)コレコレと声が飛んできて、恥ずかしい思いをしたことを思い出しました。
博物館は観客との間には、了解されたマナーがある、ある意味では、博物館の教育とは「公共」を教えることかもしれないとおもいました。それにしても日本人の文化度もずぶん上がったものだと、しばらく、仏像をわすれ、観覧者をながめていました。見終わって旧館の展示場を通って外に出たのですが、仏像(特展のものよりいいのがあるのに)をおさめたガラスケースの部屋はガランとして人影がありませんでした。
吹田博も帝室博物館しきの性悪説をとっているようです。市民に開かれた博物館は性善説にかんがえをあらためるべきではないでしょうか。
(カンチョー)
コメント
子どもたちとのワークショップで、いちばんはじめにスケッチをしてもらいました。その際、自分が一番お気に入りだった「遺物」をガラス戸から出して…スケッチしてもらうことに。みんなきゃーきゃーいいながら、お目当ての遺物の鍵を開けてもらってました。一番盛り上がっていたのは特別収蔵庫の中の馬のハニワを選んだ女の子たちでした。
ベトナムの現代美術館では、愛国戦士のブロンズ像の顔が、みんな触るので、すり減ってピカピカしていました。日本のお寺にあるビンズリさんににて、触ると御利益があような信心がうまれてるのかな、それも文化の一つの形だなーと感じました。ブロンズ像は鋳型があるのでまたあたらしくつくれますしね。展示することで、時間を断ち切ってしまう、博物館の態度に問題がありそうです。
奈良・桜井の私立美術館「大和玉仙閣美術館」で応挙の掛け軸「雪景山水図」などが盗まれたと今朝新聞報道がありました。悪貨は良貨を駆逐するといいますが、極く少数の悪いやつが世の中を混乱させますねー。信賞必罰は徹底させなければなりませんね。吹博も悪貨に懲りずにオープンになりますように。
とあるミュージアムの資料に対して、「道具のような資料については、やはりそのものに触って、においを嗅いだり、重量や肌触りを確かめたりすることが大切ではないか。」という意見をいただいたことがあります。資料の性格もありますので、難しいところですが、サービスを提供するという立場からは性善説に立つべきでしょう。でも、例えば地域の貴重な信仰対象であった仏像が盗まれた!なんて話を聞くと、本当に悲しくなります。
その昔メキシコの国立人類学博物館に行ったときも、まずそのオープンさに驚かされました。ヒスイの仮面の周りにこどもたちが座り込んで、一生懸命ノートに書き込んでいる・・・。見ての感想を書いているんだとか。答えてくれたパブロくんは大学に行ってるんだろか?どの展示もオープン。鑑賞する姿勢の常識が定着してるんでしょうね。吹博のお宝ってどれでしたっけ(失礼!)