わたしと万博…ある市民委員の作文

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子供が歩いても15分の隣の丘に、EXPO70がやってきたのは小学校五年生のときだった。日本中の親戚が泊まりに来た。廊下までフトンを敷いて寝た。案内は子供の役目だった。もちろん自分が行きたいパビリオンを優先的にコースに入れた。それまで11年の全生涯で会ったより多いガイジンに、1日で会ってしまった。田舎から出てきた親戚のおばさんをお祭り広場に連れて行ったら、ただ目を丸くして見ていた。帰ってきて父が「どうでしたか?」と聞いたら、「いや~ストリップやってましたわ~」とおばさんは言った。「ストリップでしたか~」と父もとぼけた返事をしていたが、レオタードを着てダンスしていたのが裸に見えただけだった。何もかもがチンプンカンプンなぐらい、新しかった。1970年の未来とは、そういうものだった。1ドル=360円で「一生に一度海外旅行に行けたら…」と父が言っていたような時代の話だ。子供には、大人たちの狼狽まで含めて面白かった。

吹田市立博物館で万博の展示をするならば、僕はやはり地元民だからこそ目撃したウラオモテを再現してみたい。「世界」と「未来」がいきなり徒歩15分の丘の上にやってくるって、どういうことだったのか?

地元民の心の中では、37年間万博は続いている。会場がただの抜け殻になっても、その空間はいつも隣にあった。学生時代は夜中に駐車場でクルマの練習をした。やがてそこが大きな森に育つと、鳥たちがうちの生ゴミをあさりに来た。海外旅行が珍しくなくなっても、「みんぱく」は世界への驚きを思い出させてくれる。コンサートやサッカーの日に竹林の向こうからざわめきが聞こえてくると、今でも胸がなんだか躍る。世界に憧れ、未来を夢見て、誰とでもオープンマインドに渡り合えと、太陽の搭は叱咤してくれる。

あのチンプンカンプンで、シッチャカメッチャカで、なんだか楽しくて面食らうような感覚を、博物館に再現できればと思う。それは地元民にとっては時空を超えた「自分探し」の旅になるはずだ。

※写真は万博終了後、1971年の一部公開のときのものです。

(by okkun)

 

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