民族学者の石毛直道さんに万博の頃のことを聞きました。
「万博そのものを見に行ったのは、1,2回やなあ。だけど、はじまる前は裏方としてよう働いた。あの頃は京大人文研の助手、上司が梅棹さんだった。1968年にリビア砂漠の調査から帰ったころ、小松左京さんが研究室によく来て、梅棹さんと万博のテーマ館の相談をしてた。そこで、岡本太郎さんの名を聞いた。
1968年の秋から、「世界の仮面と神像」展示のための収集がはじまった。若手の人類学者が、太陽の塔の地下空間に展示する資料を集めに世界に散らばっていった。翌年の春までに収集品が日本に着いてなければならないというので、ものすごう忙しかった。全体で2,600点の資料が集まった。
私はインドネシアと太平洋諸島での収集だったが、なかにニューへブリデスの祖先像があった。目を強調した人面の下に円錐形のトルソ、両手を広げていて太陽の塔そっくり。それを言うと岡本さんは「太平洋では昔から岡本太郎のマネしてたんだな」と涼しい顔で答えはった。
太陽の塔によく似た像はアフリカをはじめ世界の民族例が多くあり、縄文土偶もそうです。ユングの無意識の世界の元型のような根源的なものなのでしょうか、太陽の塔がなにかのコピーだという感じはまったくありません。「岡本太郎をマネした」という岡本さんの言葉は、縄文土偶についてもよく聞くのですが、石毛さんの話がもっともオリジナルに近いものだと思います。
(カンチョー)
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