わたしと万博(30)…バンパクよりアンポの1970年

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1970年、わたしは高3でした。知的障害者の施設を見学したりお世話をしたりして、障害者問題や社会的な問題を考える「ユネスコ」クラブの部長をやっていました。この活動が週2回ぐらい、ほかに陸上部のマネージャーもしていたので、いつも忙しく動き回っていました。

高3のときの印象に残る思い出は、ホームルームでやった70年安保の学習会です。当時担任だった物理の先生が若くて、こういうことに熱心でした。日米安保条約が日本にとって軍事的、社会的にどういう意味があるのかといったことを調べてくるのです。わたしは経済の担当で、たしか経済的にアメリカの植民地みたいになるからよくない条約であるというようなことを発表した記憶があります。

万博は、1回しか行っていませんから、あまり覚えていませんね。(「ちゃんと1回行ってるじゃないですか」とツッコミが入ったのに対して)行きたくてたまらなかったわけではないけれど、どんなものか自分の目で見ておこうと。夏休みにクラスメートと二人で行きました。

とにかく混んでいて、暑くて、しんどかった。そして、何もかもすごく高かった。会場内で何か買って飲んだり食べたりするなんて、ぜいたくというイメージ。入場料600円と交通費、これだけでも高校生にとってはたいへんな出費でした。上手に見学できていたらそう思わなかったのでしょうけれど、炎天下で待ってばかりで、何これ?という感じでした。

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最近、卒業写真を見直したら、自分のクラスのページのレイアウトが、太陽の塔やパビリオンをバックにしたものだったのでびっくりしました。高3のわたしにとって1970年という年は、万博よりも、安保などの社会問題の方が、大きなウェートを占めていましたから。

すいはくには、3年前の「足とはきもの展」の打ち上げの手伝いに誘われたのがきっかけで関わるようになり、今回も委員として参加しています。万博に対する思いがうすくて向いているとはいえないのですが、できるかぎりのことを、一所懸命にやりたいと思います。

(ミリカママ談、こぼら聞き書き)

 

コメント

  1. okkun より:

    社会のモンダイときちんと向き合いたい!っていう思いは一貫してるのに、一回りしてなぜか万博展に参加してるあたりが歳月のイタズラというか太陽の塔のてのひらと言うか…。卒業アルバムをひさしぶりに開いたら太陽の塔のイラストにアレンジされててびっくり…っていうあたり、すごーく面白いです!コドモでもないオトナでもない揺れる青春…と言うのでしょうか?
    ところでバンパクとアンポって、語呂が似てますねえ…。

  2. もぐら より:

    熱いバンパクよりもミリカママさんの高校3年生が感じたバンパク感が新鮮に感じました。

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