わたしと万博(31)…山田で臨時民宿経営してました

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民宿をしようと思い立ったのは、開幕間近になってからです。あちこちの親戚から、万博に行きたいんやけれど泊まるところあるやろかという話になって。我が家はそう広くないから泊まってもらうのはたいへん。それで、もともとそういうことが好きだったこともあって、ちょうど近所にあった知人の空き家を借りて始めました。

6畳と8畳、それに炊事場がついていました。電気と水道を入れて(あの頃山田ではまだプロパン。事故が怖いのでガスはやめた)、フトンは貸し布団を借りました。そして、冷蔵庫、電気釜、電熱器、それに鍋類、食器、米、醤油や砂糖などの調味料などを用意。朝食はごはんを炊いてもらい、昼用のおにぎりぐらいは作って持っていけるようにしておきました。

場所は、会場まで一本道、歩いて10分もかからないところにありました。帰りはみなさん閉場ぎりぎり(4/29~9/13は夜10:30)までいるものですから、私は会社から帰ってきてから、車で迎えにいきました。いったん家に戻って、それからお風呂です。きれいなニュータウン内のお風呂屋さんへ連れて行きました。

宿泊代は、光熱費とシーツのクリーニング代などの実費をもらいました。冷蔵庫にはビールとコーラ。ビールが一本180円、コーラは、24円で仕入れることができたので、定価40円のところ30円で、飲んだ代金を缶に入れてもらうようにしました。夏で暑かったから、ビールはよう出ましたな。

親戚、親戚の親戚、はじめて会うたイトコとか、その友だちとか・・・そういう人が次々クチコミで来ました。私の勤めていた会社の得意先の九州とか東京の方や、そのまた取引先の方もありました。館長は「儲かったやろ」なんて言うけれど、なにせ実費だけでしたからねえ。もっとお金もろといたらよかったな、しまった(笑)。

(Oさん談、こぼら聞き書き)

※写真は万博当時、樫切山から万博南口方面にむけて開通した新道。(写っているのはOさんではありません。) (okkun)

コメント

  1. おーぼら より:

    この「樫切山から万博南口方面にむけて」の場所、現在は? さー、どなたさまでもいいですから、同じ場所での写真を提供してくださ~い。できれば、同じような帽子をかぶったおじさんに立ってもらって撮影してほしいなぁ~

  2. きょうちゃん より:

    「樫切山から万博南口方面にむけて開通した新道」の写真。実に懐かしい。2Fの仕事場からも、このあたりの風景の日々の変化に併せて、対応策に邁進していたなあ~。

  3. アルミ より:

    そりゃそうですよ。あの頃ビールなんかたかくて、ホッピー。酒はショーチュー。二級酒なら御の字で合成酒。それがリバイバルだか、なんだかもてはやされているのをみると、オレの青春は何だったのかと、怒りを覚える今日この頃です。

  4. みっちゃん より:

    当時の市報にも出ていましたが、民宿営業は申請書3枚と、3000円の登録料で、営業できたそうですよ。よほど、宿泊施設が不足していたようで、急遽いろいろ対策をしたようですね。
    北千里の青少年活動センターも、増築し、テントを張ってキャンプできるようにもして・・。ユースホステルに委託し営業させたようです。スイス人の宿泊が一番多かったとか。

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