万博をつくりあげた頭脳集団

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大阪万博がどうして出来、あれほどの成功を収めたかを調べていたら、カギとなる集団に引っかかりました。

その中心はやはり梅棹さん、「文明の生態史観」などで、はやくから国際的な場で日本の歩むべき道を模索していたことは衆知のとおりですが、1964年の東京オリンピックの開催をきっかけに、次は万博だ、それも関西だ、と「万国博をかんがえる会」を立ち上げ、時には夜を徹して議論していたそうです。

中心メンバーとなったのは、梅棹さんの他には小松左京、加藤秀俊、川添登、林雄二郎さん。民族学者、SF作家、社会学者、建築評論家、経済評論家などとしてすでに世に知られていた気鋭の若手でしたが、このふしぎな異業種の組み合わせがうまく融合して高いエネルギーを生み出したのです。

その噂を聞きつけた(実行する側の)お役所や経済界から誘いがあった時、やることは喜ばしいが、われわれはそのためにやってきたのではない、「交際はするが結婚はしない」と宣言して協力することに決めたそうです。EXPO70には、彼らの研究成果がまるごとといっていいほどに取り込まれているのですが、公式の場や記録に彼らの姿がほとんど見えないのはそのせいだと思います。

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この集団は万博の年にはすでに、考える会を発展させた「未来学研究会」を立ち上げ、京都国際会議場で国際未来学シンポジウムを開き、国立民族学博物館の創設へと動くなど、つぎのステップを歩み始めていました。

第二次大戦とその敗戦を乗り越え経済復興を果たす主役となった若い世代の熱き思いが、当時の市民(声なき声というのがありましたね)の共感を呼び、あれほどの成果をあげたのではないでしょうか。
(カンチョー)

【写真提供 イオ・小松左京事務所】
上:左から、加藤秀俊氏、梅棹忠夫氏、林雄二郎氏、川添登氏、小松左京氏
下:1970年の国際未来学シンポジウム

 

コメント

  1. okkun より:

    「交際はするが結婚はしない」が気に入りました。いろいろ使えそうですね。(例・われわれは博物館と交際はするが結婚はしない…)

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