ただいま開催中の「07EXPO70-わたしと万博」…1970年当時の千里ニュータウンのお宅を再現したコーナーに、「カラー電話機」と「デジタルクロック」があります。
1970年当時は、デジタル表示が新しい時代の象徴のように出始めたころでしたが、世の中の主流はまだまだアナログでした。
■上段の「カラー電話機」
当時、圧倒的多数のご家庭は「黒電話」で、この「ダイヤル式だけどカラー」の電話機は、チョットおしゃれなご家庭の象徴でした。当時の電話機は電電公社のレンタルでしたが、この「カラー電話機」は月額使用料が50円か100円ぐらい高かったような気がします。色はほかにもこんな色がありました。
「押しボタン式電話機」は1969年に初登場し、翌年…つまり万博の年に「プッシュホン」という名前がつきました。当時は「電話をプッシュすると計算ができる!」というサービスが売り物にされ、「これからは算数の宿題の出し方を変えなければならなくなりそうです」などと小学生新聞に書いてあったなあ…。電卓が普及する前ならではのサービスでしたが、あまり使われなかったようです。
ちなみに受話器がおいてある台は「お待たせ」する時のオルゴール台。「電話よー!」と家族を呼ぶときに受話器を手で押さえる必要がなく、おしゃれなメロディが流れるものです。(これは電電公社のレンタルじゃないです。)
■下段の「デジタルクロック」
正確にはこれは万博以降のタイプだと思います。1960年代はご家庭の時計は長針と短針が回る「アナログ表示」ばかりで、パタン!と表示が切り替わる「デジタル式」は、1970年代に急速に普及しました。カッコよかったんだよねこれが…。
■万博会場内
エキスポランドの入口にも写真のような大きなデジタルの公式時計が設置されましたが、これは「デジタル式」であることが当時非常に重要で、こんなところにも観客は「未来都市」を感じたのです。…今見ると図体のわりに文字盤部分が小さくて、これが当時の技術的限界だったのかなと思いますが…?
2007年、いまや「デジタル表示」はすっかりあたりまえになり、文字盤がパタン!と切り替わる音に未来を感じるという感性も過去のものになりましたが、アナログ表示も消えたわけではありません。…でも「電話をする」というジェスチャーで人差し指をぐるぐる回すのはオジサン、という感覚はあって、思わず赤面してしまいますが…。
ところで「押しボタンの数字盤」と言えば、電卓が急速に普及したのは1972年ごろからで、プッシュホンの普及とほぼ同じ頃ですが、電卓と電話機、数字盤の並び方が違うことにお気づきでしょうか?銀行のATMは「電卓式」と「電話機式」が混在していて、合併したときに問題になったり、視覚障害者が困ることがあるようです。ケータイは固定電話の数字盤を受け継いでいて、カタチは変わってもやはり電話なんだと主張しているようです。
(by okkun)
コメント
その後「文字盤がカシャカシャ・・・と切り替わる」ことをウリにしたのがTBSのザ・ベストテン。その後もしばらく空港や新幹線の駅で「カシャカシャ・・・」と案内が更新されていましたが、昨今トンと見られなくなりましたね。駅や空港ではいつごろまで見られたのでしたっけ?(おーぼら)
家の屋根裏に眠っていた品々です。
okkunさん、りっぱな解説をありがとう。
ついこの間まで使用していたものが、博物館に並ぶなんて、時代の移り変わりが速いんですね。