歴史講座「万博公園の考古学」

きょうは高橋真希(すいはく学芸員)さんが歴史講座「万博公園の考古学」がありました。

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万博公園の中には、2つの遺跡があります。
千里丘陵が万博開催地に決まった後、遺跡分布調査が行われて発見された7世紀の瓦窯跡の白頭(しらがしら)瓦窯跡と、もうひとつは明治11年(1878)に池の造成中に見つかった山田銅鐸の出土地です。

白頭瓦窯跡は現在の鉄鋼館の北側:バーベキュー広場付近。
山田銅鐸の出土地は現在のガンバのサッカー場と思われます。

白頭瓦窯跡からは瓦一枚が発掘されましたが・・・それだけ。おなじものがまだどこからも発掘されていないので詳しいことはわからないようです。

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一方山田銅鐸の出土地の出土地点から東に抜ける谷の約2km先には、銅鐸の大製造工場であった東奈良遺跡(茨木市)があります。山田銅鐸もここで造られた可能性が高いものですが、その後、なぜ山田に銅鐸が埋められたのでしょうか?
・土中保管説 ・遺棄説 ・隠匿説 ・地鎮説 ・境界説などがあります。でも正解はいまなお不明です。

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銅鐸は紀元前3世紀から紀元3世紀ころの弥生時代に日本のみで作られました。
Made in ChinaとかMade in Koreaといった銅鐸はありません。ぜ~んぶMade in JAPANです。
関西では下図のような場所で出土しています。

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このように関西の出土分布をみると結構な数が出土されてますが、その範囲は中国四国の東半分以東で
逆に九州方面で出土する銅剣は関西からはあまり出土しないそうです。

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カンチョー乱入して銅鐸のレプリカを前に「何もわかってないんだから言うたもん勝ち」と自説を展開しました。そして結論は「弥生時代ですらわかってないんだから、縄文時代はなんでもアリ。だから縄文を研究したのだ」とホンネをチラリ(笑)

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(おーぼら)

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