博覧会と博物館は近しい関係にある。
荒俣宏氏によれば、これには、博物学の盛衰が関わると言う。すなわち、様々な事物を収集する博物学は17世紀から18世紀に発達したが、19世紀に入って天文学、地理、地質学、生物学などの個別専門分野に細分化するとともに、総合性と文脈依存を旨とする博物学は時代遅れと見なされ、殖産を目的とする博覧会と教育を目的とする博物館に集約されてしまった、と説く。
しかし、20世紀後半に明らかになったように、細分化された科学技術が核兵器や環境問題を引き起こしてきたことを振り返れば、今こそ博物学的な総合性や文脈依存性を取り戻す必要があるのだろう。
博覧会と博物館の近しい関係の実例には、東京国立博物館の設立が1873年のウィーン万博に向けた準備活動と連動していた日本の例が有名だが、海外では、万博で造られた建築物群がその後博物館や美術館に転用される例(1876年フィラデルフィア万博時のメモリアル・ホールが現在のフィラデルフィア美術館に、1900年パリ万博時の駅舎がオルセー美術館に、1888年バルセロナ万博時のレストランが動物学博物館に)や、1851年第一回ロンドン万博の収益金でサウスケンジントンの博物館街(ヴィクトリア&アルバート博物館、自然史博物館&科学博物館)ができた例などがあり、建築史の面でもエポックを作り出した万博が博物館と結びつくのは、自然な流れなのだろう。
写真(上):古代ローマ建築風の列柱が並ぶサンフランシスコ万博跡地
(久保正敏 / 国立民族学博物館・文化資源研究センター教授)
12月5日のカンチョーのブログに紹介されていた月刊みんぱく記事を、久保先生ご本人に当ブログ用に書き直していただきました。2回にわけて掲載します。
(こぼら)
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