2月8日、小松左京さんのフロンティア3000研究会で、「すいはく」がとりあげられました。
テーマは、カンチョーが就任して足かけ4年、すいはくはどう変わったか、そして、将来に向けてどうしていけばよいのか?
今回の講師・カンチョーに、応援団(?)として、すいはく関係者10人が特別に参加しました。市長も参加。
以下、カンチョー講演の要旨・・・実際は、カンチョーナガシマ語に加えて、時々小松さんや石毛さんが乱入。たいへんでございました。
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すいはくの館長になったのは、博物館の立て直しが必要だと考えていた阪口市長に、民博の石森教授(現在、北海道大学観光学高等研究センター長)が推薦したため。民博を無事退官して幸せな!?フリーター生活を送っていたのに、断れきれずに就任することになった。
それまでのすいはく館長は「名誉的な、非常勤職」として位置されていた(実情については、1月6日blog「平成19年10月 決算審査特別委員会(11月08日議事録)から」参照)。ところが、就任のあいさつとして『博物館だより』に「市民に開かれた博物館に」と書いたために、博物館を変えたいと考えていた市民たちが直談判に押しかけてきた。レッドソックスなら経営陣の総入れ替えだが、市の組織ではそれは難しい。先頭に立って働く他に方法はないと思うに到った。
実行をはじめたのは2005(平成17)年度の春の特別展、「ふしぎ探検 足とはきもの」だった。この展覧会では、フロンティア3000のメンバーの皆さまの助言や協力もうけて、講演会や講座などさまざまなイベントの充実をはかった。これが観客増につながったと思う(グラフ)。また、市民に協力をあおいだことがきっかけで、「はくぶつかん盛り上げ会」が生まれ、それがのちに述べる特別展市民委員会の母体となった。しかし、そのときはまだ、学術的への偏りがあった感は否めない。
しかし、2006(平成18)年の千里ニュータウン展、2007(平成19)年のわたしと万博展では、予想以上の観覧者をあつめた。成功の原因は、まず、市民が単なる「ボランティア」ではなく「委員」となり、企画・制作・実行を担ったこと。ついで、広報の強化。それまで「市報」にかぎられていた広報が、ブログで情報発信するようになったこと。それにともなって、新聞やラジオなどのマスコミの取材が活発になり、知名度が飛躍的に伸びた。ブログは公的なHPと比べ、市民がたちあげ、独自に運営するので、自由活発な意見が飛びかう。アクセス数は千里NT展で3.5万、万博展はさらにのびて13万をこえた。
過去2度の市民による特別展の成功は館員の意識もかえた。しかし、真価が問われるのはこれからであろう。
2008年度の特別企画は、「西村公朝」、「竹」、「さわる」、「ビール」である。これに限らず、将来の企画も含めたアイデアを、聞きたいと思う。
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「小松左京展」はどうだという意見がでました。プロデューサーのHさんの「一般的にいって、博物館の専門家でない市民は企画は得意だけれど、制作がなかなかできない。それができる人材を養成することが必要」という意見に、一同深くうなずいておりました。(こぼら)
コメント
すいはくで、学芸員が市民のアイデアを特別展に組み立てるというシステムができれば素晴らしいですね。
感じています。 ある物さがし<掘り起こし>。 ないから、創る<創作>> 解らんから研究<・・?>。
どうして、110番なの。 毎日、叱られています。
今回は「小松左京さんを囲んで…」という趣旨の会であったようですが、「すいはくの未来をどげんかせんといかん」と言うのであれば、その場には学芸員がいないと上手くいかないと思います。橋下知事は府を倒産企業にたとえていますが、すいはくも企業にたとえるならば、学芸員こそが従業員であり、企業再生を考えるのに従業員抜きで考えるということはありえないからです。一番深くコミットしている人が本気を出さないと…。もちろん市の施設は市民のためにあるのであって、主役は市民です。でも市民と学芸員はまだ一度も本気で同じテーブルについたことがないんじゃないでしょうか?観客が入らないのは「何かがずれている」と考えるのが普通でしょうが、じゃ何がずれているのか?一度、市長も交えて大討論大会が必要ではないでしょうか?
野次馬婆としては、乱闘シーンが見たかった。失礼しました、「乱入」ですね。
いつも感じています、講演会とか、フォーラムとか、いろいろな行事が平日の日中におこなわれることへのひがみ。
年金も当てにならない貧乏人の婆としては還暦すんでも働かにゃならぬ身。平日の日中に行きたくても行けない…ひがみたくもなります。