3/8土曜日朝の朝日新聞関西版に、吹田市の前教育長、竹見台中学校前校長の延地和子さんが大きく取り上げられていました。がんで余命を宣告され、卒業を前にした三年生に「最後の授業」を行ったという記事でした。とても心に残る記事でした。(こちらをお読みください。)
延地さんは教育長のとき、2006年に博物館で行った「千里ニュータウン展」にも来てくださいました。カンチョーもお世話になったと言っておられました。
「私の命がなくなったとき、話を聞いてくれた人の中に火種が残ってくれたら、私は第二の人生を生きられる」とおっしゃったことを記事で読んで、もし体調が許せば、千里ニュータウン展や、延地さんがあしあとを残された千里ニュータウンのことを、このブログに書いていただけたら…と思いました。
あるいは竹見台中学校で話されたことの記録があれば…朝日新聞の記事はその「火種」を十分に伝えるいい記事でしたが…このブログで思いを公開させていただくことはできないだろうか?とも思います。
教育に生きてきて、「伝える」ことの素晴らしさを教えてくださった延地さんに、ブログ上ではありますがお礼を申しあげたいと思います。延地さん、ありがとうございました。
(by okkun) (photo おーぼら)
コメント
延地さんが、お亡くなりになりました。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804010120.html
とても残念なことですが、NT展でお会いできたことと、「最後の授業」の記事は、忘れられない記憶になりました。「何か」を命の限り伝え続けてくださった延地さん、安らかにお休みください。ありがとうございました。
ブログに登場していただけると、とってもうれしいですね。
okkunの推察あたってる。教育長は組織としては博物館のボスなので、いつも、ああしたい、こうしたい、予算クレーとおねだりしてたのですが、「学校の現場もきびしくて」とハードな交渉相手でした。この写真は、ニュータウン展のオープニング、「こんな楽しい企画もがきるのねー、工夫次第ね」、「いろいろ、大変なんですわ、今度2人でお酒など飲みながら・・・」、「いいわねー」とか話しているところです。教育長は激務で忙しかったらしく、その夢は叶わず、残念でした。
先程、延地先生が出版された本を探して、こちらに辿り着き亡くなられた事を知りました…。先生の言葉に影響を受けた一人です。笑顔が素敵に撮れてますね。涙が出てきました。突然の訪問失礼致しましたm(_ _)m
博物館で一度か二度お会いしただけなのに、延地さんの物語は深く心に残っています。こちらもご覧ください。
https://suihaku-hiroba.com/200904_article_11.html
教え子の方なのですね。延地さんを偲ぶよすがになれば幸いです。