タケとプラスチック/文化人類学的考察

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カフェ・たんぽぽにあつまった竹製品を眺めていて、ずいぶんタケがプラスチックに置き変わっていることにいまさらながらおどろきました。ザル、シャモジ、ハシなどの台所用品はともかく、ふにゃふにゃのウチワ?こんなもんからの風はかえってむし暑い。

氾濫の理由は何でしょうか。すぐ思いつくのは、「安い」こと、石油が安く野放図に使っていたころは、副産物であるその残滓からくる原料はタダ同然でした。また、可塑性が高いので、型に流し込んで大量生産が出来る。素材が悪いほど、こわれやすいけど軽く輸送費がかからない。中国や南アメリカの貧民街で衣類を含めた石油製品の横行ぶりにいつも目をみはったものです。

プラスチック化に顔をしかめる人は多いのですが、ここではいい面についても考えてみましょう。伝統的な自然素材を使った道具はたしかにいいのですが、それを作り、手入れし、修理するにはけっこう手間がかかります。ところが、ほぼ使い捨て状態で使える石油製品は労働力の節約に役立つ。とくに、それをあつかう主役であった女性にとっては、画期的なまでに重宝なものでした。

中国は外食がさかんで、横町にいると、安く手軽に食事がとれます。この間台湾で、なつかしくていってみたのですが、店の多くが食器類を紙やプラスチックに変えていました。湿気がこない、乾きが早い、欠けない、使い捨てならなお便利。むかしはタライで洗っていたのですがねー、確かに清潔にはなりましたが、なんかシラケた気もしました。

もっと肩を持ちましょうか。スポーツ関係の品を調べていて分かったのですが、ヒマラヤ登山などは、寒さ、(荷物の)衣装や携帯品の重さとのたたかいなのです。そのために、自然素材はほぼすべてがアルミ、グラスファイバー、プラスチックにおきかわってしまっているのです。そういえば、棒高跳びのバーやポール、弓道の矢もむかしはタケでした。それらはまあ、科学の力が自然を越えることに成功したといえるでしょう。

も一つ、うまく説明できないこと。プラスチックになってしまったホウキやハタキの柄、お菓子を包む竹の皮、インゲン豆の支柱などとくに必要もないのに、わざわざタケを模したものがあることです。塀を竹垣みたいにするというなら、デザインと考えられなくはないのですが。

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私たちのタケとのつきあいの歴史は、長く、複雑であることがわかります。現在、石油価格の高騰がみにしみています、将来、それは資源の枯渇に確実につながることは確実で、、プラスチック製品の入手も困難な時代が来るはずです。すると、私たちは再びタケとの生活にかえっていくのでしょうか?

今回の展示のなかに、そんなことを考えるコーナーを作ってみたいと思っています。

(カンチョー)

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