「縄文塾」@すいはく/服を着た縄文人

8月17日(日)午後2時から講座室でNPO法人三内丸山縄文発信の会が主催する縄文塾「服を着た縄文人」がありました。

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東京芸術大学講師の岩本奈恵さんのバイオリンで「縄文の丘」という曲から始まりました。バイオリン技術は超一流で、縄文の丘(三内丸山遺跡)に月が昇ってくる光景が目に浮かぶような曲、演奏でした。

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つづいてトークショー「縄文塾」、演壇には三内丸山遺跡にとって重要な三人が登りました。
カンチョーと
イラストレーターの安芸早穂子さん
そして
三内丸山縄文発信の会事務局長の杉山陸子さんです。

「縄文人はどんなかっこうしてたの?」
「そらぁ、裸で腰に毛がそのままついている毛皮をまとっている」姿ですわ。
というのが1980年代の常識だった。

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それを覆した人たちの話には目からうろこ。
福井県三方町の鳥浜貝塚から出てきた真っ赤な漆塗りの櫛(くし)はそれを見たカンチョーの感覚を揺さぶりました。「この櫛を使う人々がギヤートルズ(裸に毛皮の腰巻)のわけがない」と、小山カンチョーが安芸早穂子さんと共に縄文服を描き出すまでのお話でした。

写真は1986年(左)と2003年発行の「週刊朝日百科・日本の歴史」。
(安芸早穂子さんのホームページより拝借)
安芸さんが同じ家族で描きなおしました。獲物もカモ(86年)からカモシカ(03年)に進化しています。着衣はカモシカの皮をなめしたものです。そしてカラフルです。

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一方、髪型は?
縄文人の全体像を表現しているのは土偶だが、あまりにもデフォルメが強く非現実的と思われていた。安芸さんは京都の髪結いさんに土偶を見せたところ「これはお太夫さんの髪と同じどすえ」と言い切り、結い方まで再現してくれた。しかもヒモ一本ほどけば、元通りの髪に戻るではないか。

そこで縄文スタイルの服、髪型で(某放送局のディレクターが)梅田を歩かせた…。
しかし
だれも「へんだな?」とは気がつかなかったとのこと。

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三内丸山縄文発信の会事務局長の杉山陸子さんが持ってきてくださったリンゴジュースは特別おいしかったです。

PS:このあと南千里のお店で二次会が開かれ、吹田と青森との交流・意見交換をしました。
(おーぼら)

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