10/13講演会 「ビール醸造技術の移入と近代日本ビール業の成立」

10月13日(月・体育の日)の講演会は、今回の企画を担当した藤井さんの「日本のビール史」のお話でした。

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日本でビールをつくった人は
1.技術を持った外国人:W.コープランド
2.海外留学をして学んだ日本人
3.オランダの書物を呼んでつくった人(川本幸民、蘭学者、板書調所教授)
の3カテゴリーがあるそうです。

生産はコープランドが明治2年(1869)横浜で営業開始。その後も、大阪(明治5年)、京都(明治5)、甲府(明治6)、北海道(明治9)、東京(明治10)など各地でさかんにつくられます。まるで今日の地酒ブームのようですね。

アサヒビールの祖先である大阪ビール会社は、技術者、原料などの純国産を目指し、明治20年操業開始。明治26年にはシカゴ世界博で最優秀賞、明治33年パリ万博でも最優秀賞、けっこう優秀なビールを造っていたようです。

ビールははじめ常温上面発酵のイギリス系のエールだったのが、のち冷凍機が実用化したことで、大量生産の可能な、ドイツ系の低温下面発酵、つまり今日の「ラガーやピルスナー」になりました。明治政府は殖産興業の目的ではじめは無税でやっていましたが、予想外に普及が早かったので、明治34年には「麦酒税法」をつくり、それによって、地租とならぶ国家の大きな収入源になりました。

より効果的な税収をねらったのでしょうか、中小製造所をつぶしにかかり、明治39年にはエビス、サッポロ、アサヒが合併して大日本麦酒株式会社としました。ほかにキリンがのこったので、今日みられる寡占状態のビール界ができあがりました。

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講演の後、カンチョー乱入。
質疑応答のほか、例によって話がとびまわりましたが、前日のトークに出た、「第二次大戦の時、軍隊でビールを覚えた人が多いのではないか」という話について、「そうです、日本や満州で、酒保*にいってのんだ」という方がいておどろきました。この講演会は「生涯学習吹田市民大学講座」の学生さんも参加しました。

(カンチョー、写真・きょうちゃん)

*酒保:軍隊の営内にあった、日用品・飲食物の売店 (『広辞苑』より)。

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