先々月アメリカに行ったとき、ノース・カロライナ州の田舎に住む恩師の家を訪れて数日滞在した。おどろいたのは、この地がまだ禁酒の郡だったことだ。
先生は敬虔なクリスチャンなので、サケも、タバコもやらなくても平気らしいが、私は大変さびしくて、おそるおそるビールが飲みたいといったが、買えなくはないが非禁酒郡まで、30マイル以上走らなければならない、といわれてあきらめた。ここでは郡ごとに住民投票で禁酒か禁酒でないかをきめるらしい、しかし、まわりの州も含めて禁酒の雰囲気がつよい。それは都市化と保守性に比例しているように思われた。
サケを飲むと平常心から逸脱するという危険性は、古くから承知されていることで、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教など、戒律できびしく禁じていることがおおい。アメリカ合衆国は、もちろん清教徒によって建国されたものである。そして、禁酒法を実施して、廃止せざるを得なかったという苦い歴史を持った国でもある。産業革命による人口の都市集中とそれにともなう社会情勢の変化の悪影響は、都市の下層労働者に重くのしかかった結果が19世紀末まで伸び続けたアルコール消費量にあらわれてたことについてはすでにのべた。その弊害に対して19世紀初頭からイギリスやスコットランドで激しい禁酒運動が起こる。アメリカでも1826年にボストン禁酒協会がつくられ、運動は広がっていった。そして、ついに1917年に連邦禁酒法=Volstead Actが成立した。
ところが、この法律はザル法で、抜け穴だらけ、むしろ社会混乱をまねくことになったのはカポネやアンタッチャブルの話で知るとおりである。また、政府としては、経済的損失ー失業者の増加、税の減収、国際競争に負けるーに悩まされる。こうして、1933年世界大恐慌からの立ち直しをはかるF.D.ルーズベルトのニューディール政策によって廃止されることになったのである。
飲酒の害は、個人的な差や病理もあり、軽々に語ることはできないのはたしかである。しかし、極端なまで理念に走りすぎるとおそろしいものだ。そういう意味では日本人はなかなか洗練された飲み方をするねー。他人に迷惑をかけないようにするという精神がこれからますます多様化する社会に生きるために必要なのかしら、しかし何でも中庸がいいというのもつまらないなーとぐだぐだ、オカキをかじってビールを飲みはじめ、焼酎にのりかえ、ずっと煙草を吹かしながらおもうのである。あーひまだ。
(カンチョー)
コメント
禁酒宣言! 日本 明治 朝日新聞 11/29 土 朝刊 31 13版 左面に 明治のはじめ、禁酒を宣言する個人広告がはやった。「私は酒をやめる。このことを友人知人のみなさんに・・・割愛」 角:あたり前でしょう。 あ~ 言わねば、よかった。
小学生の頃、当時20-30代だった従兄弟がアル中になり、家に押しかけられて大変恐い思いをしたことがあります。一度は断酒して正月に半紙で包んだお年玉を貰い、一滴の屠蘇も飲まずに帰りましたが…また持ち崩して兄弟も離散し、若くして亡くなりました。今僕があんまり飲めないのは、体質もあると思いますが、ひょっとするとこのときの記憶がトラウマになってるのかもしれません。なんとなく陽気になる雰囲気は好きなので、理想は「いくらでも飲めて、乱れない」ことなんですが…そういう人は肝臓に負担をかけてしまいそうで、難しいですね。(どーも暗いな…)
アルコールをよく飲んで、タバコをプカプカ、そんな人に喉頭・咽頭の癌が多いとか。