吹田アーカイブという構想が浮かび上がってきた。ねらいは吹田市の旧一町六村の歴史文書、芸術、民俗、考古学の資料をあつめ、それを保管展示できる施設を各地区につくって、地域の活性化をはかろうとするものである。それについて、博物館がモデル(具体的には特別展)をやれないかという(命令に近い)提案があった。
その発想のもとは一昨年の千里ニュータウン展の成功ではないかと思う。これによって千里ニュータウンのなかに文化的コアができたことがある。ニュータウンに建物などの施設はまだないのだが、特別展でサテライト展示をおこなった佐竹台のまちは、それによって全国的に注目されるほどの人的ネットワークが形成され活性化し、たしかな再生への道を歩み始めたのだから(ちと強引な意見で我田引水の気もしますが)。すいはくでは、これまで多くの吹田に関わる特別展を行ってきた。しかし、単発、しかも、資料が古文書、民具、土器片に偏るという古めかしい歴史観によっていた。ここで、発想を転換してもっと歴史を現代にひきつけ、未来への視点もふくめて、総合的に吹田を見るプロットをつくらなければ、市民の心を高揚させるものにはならないだろう。
私自身は、地球温暖化、環境汚染などの、現代的な課題をもった展示をやるべきだと思う。そうすることによって、過去の歴史を吟味でき、未来への道も探ることが可能になると考えている。さいわい市民の環境に対する問題意識は高い。たとえば「すいた市民環境会議」は自然環境に対する調査をつづけ、厖大な資料を蓄積しているし、より具体的には、紫金山ビジターセンターを博物館の敷地内にたて、両者の連携を図ろうとする動きが現実化してきているからで、それを利用しない手はないと思う。また、「理科」系の展示をおこなうことによって、子どもたちを巻き込んだ講座やイベントができるのではないだろうか。
吹田アーカイブ構想は、すいはくにとって、大きなステップの切り替えになるであろう。しかし、それではじめて「市民のために開かれた博物館」になると私は考えている。
(カンチョー 写真:おーぼら)
コメント
里山、鎮守の森が、今私たちに対してどんな意味を持ち、それが未来にどうあるべきかを考えている最中なのですが(1/12日にやるコスモスフォーラムのため)・・・。第1は,地球温暖化はたしかか?30年ほど前は慣例化を心配していた、気候変動は一直線ではなく、凸凹に進む、あまりにも短期的に見ているのではないか。co2は、ジュラ紀に大恐竜をそだてた、植物繁茂の原因ではなかったかという論文もありましたね。第2は.現代の里山の荒廃はどうして起こったのか、土地の利用価値がなくなったからではないのか。最近奈良の奥では、竹やぶがビシッと整備され、茶畑になっていました。人の欲のために環境バランスが変わる。今は水田がアブナイので、里山もそう。過去に徹底的に森を破壊したドイツでは、遊び場として森を育てています。すると、日本の里山もその方向に進むのでしょうか?
すいた市民環境会議との連携で、環境についてふかまりそうですね。