初夢はくぶつかん ≪千里ニュータウン建設記念館ができたら≫

画像初夢って言うにはリアリティありすぎの話なんですが、僕は吹田市が南千里駅前に造ると言っている「千里ニュータウン建設記念館」に注目しています。

この計画は南千里駅前の再整備計画の一環に位置づけられ、概要が断片的に吹田市千里再生室のHPにアップされています。

日本初のニュータウンである記念碑的な千里ニュータウンの開発の経緯や関連資料が見られるコーナーは、2005年まで千里中央に(1970年までは南千里に)あった大阪府千里センターの一角にありましたが、千里センターの廃止にともないクローズされました。ここにあったパネルや模型などを吹田市が引き取り、ただいま市内某所に保管されていますが、これを母体に資料室を作ろうと考えているようです。

この構想じたいは、ぜひやってほしいことです!大阪府が手を引いた今、どこかがやらないと貴重な資料が散逸してしまうわけですから…。

でも同時に、心配でもあります。千里の記録は貴重だからこそ、やるなら「活用される」「血が通った」ものにしてほしい…。あっちこっちに人が来ないハコをバラバラ造るようなことになっちゃいけないんじゃないか?…だいたいそれ、博物館と一緒じゃいけないのか?(博物館の立地はニュータウンの横だけどニュータウンじゃなく、ビミョ~ですが…)…すいはくの活用という角度から考えると、ニュータウンという吹田の一大コンテンツをほかに切り分けてしまっていいのかしら?

こちら(p22)によると、想定面積は150㎡程度…って、調べたら博物館の特別展示室が163.8㎡。それより一回り小さなスペースに閲覧コーナー、映像コーナー、ミーティングスペース、倉庫…。

で管轄は(今のところ聞いているのは)千里再生室。つまり都市整備部の傘下。この記念館は、千里ニュータウンの「過去」~「現在」~「未来」への一貫した俯瞰ができる場所であってほしいと考えると、博物館(ここは教育委員会地域教育部の傘下ね)の視点は入らなくていいのか?

それに、千里センターにあったパネル。あれは内容が古くなってます。もちろん貴重な内容も入っていますが…物理的にも相当傷んでいるし、模型(これはこれで貴重)にしても、ちゃんとわかる人が見てリストアしないと、ただ埃をはらって倉庫から出してきただけでは…

阪大には海外のニュータウンを訪ね歩いているグループがいて、そういう町の資料館を見てきたりしていますが(こちらこちらこちらこちら)、吹田市はそういう人たちに会って先例を学んだりしているのか?

ハコだけ造っても魂をきちんと入れないとどこかの博物館みたいになるので、本当に、やるならきちんとやってほしい。「日本初のニュータウンの記念館」に恥じないものにしてほしい…っていうこのブログを、誰かプリントアウトして市長に見せてくれないかナ~…っていう初夢でした!

(by okkun)

コメント

  1. okkun より:

    「ニュータウンのことを知ってる人がいつもいる」ことはけっこうポイントかも。先日、北海道のニュータウンの人たちが千里に視察に来られたのですが、結局「人に会って話を聞く」ために来られるので、無人で資料が置いてあるだけじゃすごく「寒い」空間になるような気がします。そう考えたら、吹田市の千里再生室は本当に記念館と一体になっててほしいかも。

  2. カンチョー より:

    これから10年くらいの長い目でみると、千里ニュータウンは大きな目玉になるでしょう。50年たつと建物が文化財として認められること、日本最初の試みであること、その後、相似た装置が全国に広がったために、その盛衰が比較されること、などなど理由はいっぱい考えられます。資料としては、現物の建物、モノ、公文書、写真、映画、聞き書き、など無数にあり、それを組織的にどう、まとめるかが問題です。そして、その中心となるのは、吹田市か、豊中市か、阪大か、人の動きが大きく変わるでしょう。すいはくの命運がそこにかかっていると言えるかも知れません。その場当たりの計画ではなく、具体的で、しっかりとした展望が必要だと思います。

  3. アルミ より:

    初夢というより悪夢nightmareですね。

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