世界の万博跡地を訪ねて : ニューヨーク万博について(3)

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1964/65年ニューヨーク万博
(2)の1939年万博と同じ場所で開催され、テーマは「相互理解を通じた平和」でした。ちなみに、この後モントリオール(カナダ、1967年)、サンアントニオ(US、1968年)をはさんで70年の大阪万博につながります。この万博開催にあたって中心となったのは子供のころに前回の万博を経験した世代であり、あの素晴らしい経験を自分の子供や孫にもさせてやりたいという思いがあったそうです(もちろん経済的思惑もありましたが)。

しかしながらBIEの公認を得ることができなかったため、BIE加盟国であるカナダやオーストラリア、ソビエト連邦、そして多くのヨーロッパの国々が不参加となってしまい、主要国でパビリオンを出展したのは日本を含めわずか6カ国のみでした。そのため、小国からの出展、およびGMやIBM、コカコーラなど産業界からの展示がメインとなりましたが、これらのパビリオンは多くの人々でにぎわいました。

会場の中心にはユニスフェアと呼ばれる地球をかたどったモニュメントが飾られ、これは現在も見ることができます(写真上)

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写真中はNY州のパビリオンの当時の姿です。この建造物は現在も残されていますが、残念ながら廃墟となっています(写真下)

この万博を客観的にみた場合、主要国の欠如、アミューズメントエリアの失敗、入場者数の伸び悩み、経済的損失など、決して成功だったと言えないでしょう。しかし、この1964年万博は今もなお、多くの人々から愛情とノスタルジーをもって語られています。

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1950~60年代初頭、アメリカは他の追随を許さない繁栄の時代にあり、NYはその中心地として燦然と輝いていました。誰もが夢見るような生活がそこにあり、そしてそれはいつまでも続くと思われていました。しかしながらその後アメリカは、ベトナム戦争の泥沼化、ウォーターゲート事件、公民権運動、麻薬など深刻な問題に直面せざるを得ず、急速にその輝きを失っていきます。
子供のころに会場を訪れ、一点の曇りもない明るい未来と繁栄を目にした人々にとって1964年万博は、夢と希望にあふれた強き良きアメリカを象徴するものとして、特別な思い入れとともに記憶されているようです。

さすがにこの万博に関する資料は多く残されており、こちらのサイトでは各パビリオンの様子までよくわかります。

(石毛たける)

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