インフルエンザの民族学(その1)

画像 国をあげた水際作戦にもかかわらず、新型インフルエンザの蔓延はもう止められなくなったようだ。とくに兵庫、大阪はもっとも早くて、吹田もふくめ、学校、公共施設の閉鎖が相次いでいる。ニュースでは滋賀県そして東京八王子。
今、飛騨の調査旅行から帰ったばかりだが、高山市には観光客が相変わらず多く、マスクはほとんどみなかった。千葉からの高校生に聞くと「千葉じゃ誰もマスクしてないヨー」としごく明るかった。ところが帰りの大阪行き特急ひだ号はマスクの人がいっぱい。風評にあおられたパニック寸前の気配さえ感じる。さいわいなことに、危険度の低い種類のものだという専門家もいることだ。ある意味では、将来にそなえて、薬や予防という社会的態勢をととのえるための予行演習ができたと考えることもできるだろう。軽々な意見は慎むべきだとは思うが、やはり大局を見据え冷静に行動すべきだと思う。
この機会を利用して、若い頃から菌やウィルスにみちみちた世界を渡り歩いてきた民族学者としての考えをのべてみたい。まず、私自身の体験から。

はじめて外国に出たのはインド、1960年代はじめ頃だった。文字どおりのビンボー旅行で、食糧はもちろん現地調達、同じような若者があつまる日本の寺に厄介になった時、坊さんが腹をこわした若者に「腸チフスかな、あの地方に行ったのなら」と平然と言った時は、心底ぞっとした。ジフテリアや猩紅熱(しょうこうねつ)もふつうにあるそうで、病原菌をいっぱいかかえ、医療体制もひどいのに、インドの人口が増え続けているのは、何故だろうと考えこんでしまった。思えば人類は何十万年にもわたって、ロクな医療もなく生きつづけ、増え続けてきている。進化論の適者生存の法則があてはまるのだろうか?
もう1つ記憶に鮮やかなのはパキスタンの学術調査隊に行った時。隊員が年令の若い順から倒れていって、おじさん、おばさんたちは平気だったこと。これは免疫に関係がある直感した。それがあっているのかどうか。

(カンチョー)

 

コメント

  1. てつ より:

    今夜は・・ いや 昨夜は やったでぇ~~~

    ヒルトンホテルウエスト6F で しっかと飲み

    午後11時20分 南千里だったので

    「ハボット」で飲み いやぁいい気分?

    え?マスク? 夜はしてないよ(^^ゞ

  2. カンチョー より:

    今朝の毎日に「1957年以前生まれ、免疫?」という記事がでていました。

  3. こぼら より:

    1957年頃に何か流行しているはず・・・と探したら「アジアかぜ」が。。。

  4. おーぼら より:

    1957年5月小学校の修学旅行。大阪⇒汽車で広島(泊)⇒汽車で熊本(泊)⇒汽車で阿蘇駅⇒バスで阿蘇山⇒バスで阿蘇駅⇒汽車で別府⇒関西汽船(泊)で大阪とまわりましたが、熊本で39℃、阿蘇山に行かないで阿蘇駅前旅館でダウン39℃、関西汽船が大阪港に着いて37℃、翌日休んで翌々日に登校しました。
    このときの熱がアジア風邪と騒がれていました。

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