本のご紹介: 『フロンティアを求めて-人類学者福井勝義の挑戦』

画像『フロンティアを求めて-人類学者福井勝義の挑戦』
編集・発行 「フロンティアを求めて-人類学者福井勝義の挑戦」編集刊行委員会 2010年
制作 有限会社ブックポケット

梅棹さんをしのぶ会の日の夜、流れの飲み会で元の同僚、阪大の栗本英世さんがいて、「今、福井さんの資料整理をしているのですが、なにしろ膨大な量で・・・」という話を聴いた。しかし、その時すでにこの本の編集は終わっていたらしく、数日前手元にとどいたのでおどろいた。栗本さんは大学の3回生のとき、福井さんのボディ族の色彩認識についての研究発表を聞いたのがきっかけで、アフリカ研究者になったそうだ。

福井さんは2008年4月、急性心不全のために急逝、京大を定年で退職されて1年あまりのことで、知る人を驚かせ、惜しまれた。栗本さんが言った膨大なフィールドノートや資料が語るように、これから腰をすえてまとめにかかるはずだったが、学者としては早すぎる死であった。
 
私がみんぱくに入った頃、枚方の香里ヶ丘団地の官舎で一緒だった。他にも数人の仲間がいて、一緒にバスで通い、酒を飲み、議論するというみんぱく創設期の熱気がそのまま持ち込まれたような雰囲気だった。福井さんはすでに『焼畑のむら』(朝日新聞社1974)をだし、次のアフリカのボディ族のフィールドワークに打ち込んでいるところだった。梅棹さんが招致した谷口国際シンポジウムの第一回目「東アフリカ牧畜民」をやるときには事務局役もした。4歳年下なのになんと言う早熟な学者だろうと、舌を巻くおもいだった。
その後、福井さんは京大にかわって職場がわかれ、私はオーストラリアにのめりこんだので研究地域がわかれたので、直接あうことがなかった。それでも、いつか「焼畑」について、議論する機会がかならず来るだろうと思っていた。

この本は、福井さんには専門分野の重厚長大な論文はたくさんあるのに、それはリストにとどめ、新聞や雑誌にわかりやすく書いたエッセイ類をまとめることで、焼畑ー牧畜民ボデイの色彩認知ー文化の攻撃性(戦争と平和)ー日本とエチオピアをつなぐための「日本ナイルエチオピア学会」の設立ーそして、ふるさと島根県への支援、という人類学者としての福井さんの足跡をたどることができるようになっている。

値段が書いてないので、問い合わせをしたところ、この本は非売品であることがわかった。制作にあたったブックポケット社は、すいはくで市民委員として万博展の図録の編集にあたってくれた小山茂樹さんの会社である。「評判がよく、同じような問い合わせが多いので、どうしようかとみんなで相談しているところです」とのこと、ぜひ何とかしてもらいたい本である。

(カンチョー)

p.4に掲載されている、33年前(1977年9月)の第1回谷口シンポジウムの写真のなかに、カンチョーを発見!わかりますかな?

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コメント

  1. おーぼら より:

    この中のイケメン、シチーボーイのトム・クルーズをさがせばすぐにわかります。

  2. 館長とカンチョー より:

    梅棹館長は、さすが、ネクタイでビシッときめていらっしゃいますねえ。

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