館長ノート 34

情報時代の博物館

ブログが20,000アクセスに
このブログのアクセス数が2万件になった。市民委員会が、独自に立ち上げたのが昨年10月31日、はじめは日に30件もあれば上々だったが、3ヶ月で、100件になり、最近では500件にたるほどまで伸びてきた。5000が2月5日、10,000が3月26日、そして20,000が5月9日という記録がそれを示している。
志は高いが、展示で何を、どう伝えればいいのかがよくミエない(博物館には素人の44人もの)委員たちの多様な想いやアイデアを聞き、疑問があれば答え、統合を図るという内部的な利用が当初は主だったが、方向性が定まるにしたがい、強力な広報の武器となっていった。

情報発信
展覧会を、その始まりからのプロセスを、逐一知らせるなどという試みは未だかつてなかったと思う(弱みやほころびはみせたくないですから)。しかし、情報発信の重要さを強く感じたのは、NHKが千里ニュータウンのトイレットペ-パー事件の資料探しに訪ねてきたときだった。ようやく駆け出したばかりのブログをみて、ここには一級資料があるに違いないと睨んだというのだ、さすがだとおもった。多くの市民が(よろこんで)出演し、いい番組になった。また、日経新聞の電子版がとりあげたり、朝日などの全国紙から地域のミニコミまで、ブログを見たといって取材に来た。こうしてマスコミとの関係が緊密になっていった。

ブログとHP
現在は、HPをもたない機関はないほどだ。しかし、HPは公的なものなので、規制がかかって、動きが鈍くなり、人手と費用もかかるので休止状態になっているものも多い。一方、ブログは私的であるため、動きが軽やかである。メッセージは公式文書でなく、チャットにちかく、表現よりもスピードが命。「日常の会話では間違いなんかいくらでもあるじゃない、言い直せばいい」と言うわけだ。また、時間に縛られないので、いつでも書ける。事実、このブログの時間記録を見ると早朝から深夜まで、ほぼ、24時間営業の状態にある(いつ寝てんのと聞きたくなる人もいる)。
公的な機関では考えられぬことだが、コンピュータおたくと呼ばれる人たちは、自費で機材を買い、裏技までつかって工夫をかさねて、それなりの達人になっている。そして、けっこうお節介で、オクレ気味のわたしたちに、いろいろ(聞かなくても)助言する。こうして、書き手がじょじょに増え、内容も充実していったという実感がある。

博物館から博情館へ
今回の特別展は、予想はるかにこえる人を集めている。その要因の1つが、このブログによる多量の情報発信にあったと思う。委員の1人は、ブログのアクセス数も入館者に数えるべきだと言い張るのだが、それも確かに一理ある。もしそうだと、入館者総数は膨大な数になるわけだ。
梅棹忠夫さんは『情報産業論』で知られるように、早くから現代社会における情報の重要性を指摘している。これからの博物館は、むしろ博情(報)館であるべきだという言葉を何度か聞いた。その予言がただしかったことを、市民委員会はこのブログによって証明したのではないだろうか。

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吹田市立博物館への行き方

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コメント

  1. 笹舟倶楽部 より:

    「情報」と言う言葉、あらゆるモノを包み込みすぎて逆にスッキリしないと思ってます。ナンでも知っている物知り、役に立つとでも言えばいいのでしょうか?「あいつナンでも知っとるで、しょうむないコト、ほんまアホちゃうか?」・・・これで良いのだとバカボンのパパ

  2. 「千里山会」WEBサイトの管理をしている、田代と申します。この度は、当サイトをリンクいただきまして、ありがとうございました。あまりお役に立たないかとも思いますが、当方のリンク・ページにも掲載させていただきました。展示会は盛況のようで、喜ばしいですね。「千里山会」は関東在住の千里第二小学校ゆかりの方々の会で、ニュータウンとはちょっと距離も時代も離れている感もありますが、仲良くさせていただければと思います。

  3. kf より:

    田代さんのHP、楽しく拝見しました。わたしは千里ニュータウン育ちなのですが、たまたま結婚した相手の社宅が千二小の校区にあり、7年間、千里山で過ごしました。残念ながら子どもに恵まれなかったのですが、もし授かっていたら、その子は千里山がふるさとになったでしょうね。社宅は一定の年限以上住めないのですが、同僚の多くが千二小の校区から離れがたく、近所で家を探しています。「千里」という名前に共通点があるし、好きなまちです。

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