ある退職したサラリーマンと千里ニュータウン その1

-退職したサラリーマンの居場所探し-

01年春退職したが家と職場を往復するだけのサラリーマンだったから、35年も住んでいる千里に居場所がない。
せめてITネツトでもと探したが見つからな い。
それなら自分でつくろうと01年9月公民館の催しで提案したら、予想以上に10名ほどの賛同者があった。
「干里井戸端ネツト」の誕生だ。
(http://senri-idobata.hp.infoseek.co.jp)

しかし、居場所としてはITネツトだけではなく実際の場が欲しい。幸い、01年10月、隣町に「歩いて暮らせる街づくり事業」(*)として、空き店舗を活用しボランティアが運営する喫茶店 「ひがしまち街角広場」がオープンしたので、早速常連客になった。
ここは人々の交流の場であるだけでなく、今や市民活動のインキュベーターでもある。
ふるさと千里の絵葉書を大学の教官・学生も参画し企画・作成・販売する「千里グッズの会」や映 画「ニュータウン物語」を上映するグループなどが生まれた。
千里のアーカイブづくり研究会も発足している。

◇千里市民フォーラム
(http://www.hnpo.comsapo.net/weblog/myblog/457)
豊中市・吹田市の呼びかけに応じて千里NT40周年記念イベントに参加 した干里井戸端ネツトの会員などの市民有志が中心になって、03年春に千里市民フォーラムが発足。これは市民活動の広場、プラットフォームづくりを目指したものだ。市民フォーラム を基盤として竹の間伐や竹細工つくりを行う「千里竹の会」が生まれた。

◇「1年生になったら、友達100人できるかな」
新しい友人ができるかなという不安は杞憂だった。これらの居場所を通じて多くの新しい知人・友人を得た。

その過程での感想を列挙する。

・私が参加することになったグループやネットは、殆どが新しく形成されたものであり、その性格を アソシエーションとコミュニティ、橋渡し型と結合型に分けるならそれはアソシエーションであり橋渡し型であること。
・そのグループやネットは行政・大学からの働きかけで形成されたものが多いが、その働きかけは地縁組織を通じてではなく、行政の広報誌やITネット等を通じて個人に直接届いたものであること。
またこういう新しい働きかけ方が新しいグループやネットを生み出しいわゆるソーシャル・キャピタル(ハードな資本ではなく人のネットを指す。)形成に寄与するのだろうということ。
・行政・大学からの働きかけに応じる人材が千里には十分存在していること。
・ ITネットは新しいグループやネットを生み出す局面にもその後の活動・運営にも有力な道具であること。

(*)歩いて暮らせる街づくり事業―経済新生対策(99年11月11日)

加福共之 tokafuku@leto.eonet.ne.jp

(以上は雑誌「地域開発」05年6月号に寄稿したものに一部加筆、編集したものです。)

コメント

  1. カンチョー より:

    「日経コンシエルジュ」の中沢記者が、この千里NT展市民委員会は「オヤジが元気」がキャッチフレーズになるだろうといってました(女性が元気なのはあたりまえだから)。このレポートをみて、こういうバック・グラウンドあったのだなーとよくわかりました。このさい、千里で活躍してるグループの方々に、自慢と宣伝をかねて報告していただくという企画はいかがでしょう。ただし、自慢話は、いつもながくなるので、400字、写真を1、2枚という制限を付ける(あるいは強引に編集)というのはどうでしょう。編集者さま、よろしく。

  2. てつ より:

    ニュータウン展が終わり 活発だったブログコメントも低迷しはじめ どこかに おもろいこと書いてないやろかと 探し始めた 定年した気分の てつです(^_^; この カンチョーの企画は 早うに出てたみたいですが どないにもならんやったんですかね? ぜひ いまからでも やってもらいたいもんです 飛騨の方々にも 千里 いや 吹田 いや 大阪にはゲンキなお年寄り(失礼 でも 適当な言葉が浮かばないm(__)m)が多いと自慢しておきました♪

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