吹田市はもともと田園風景が広がる地でした。幕末の動乱期の1コマを描いた瓦版があります。大阪は火の海、京都に向かって大砲をひき、槍や鉄砲をかついで、軍隊が淀川べりを移動中。それとは対照的に、対岸の吹田、富田林、高槻は、一面の水田から首を覗かせるように村や町が描かれて、別世界のように静まりかえっています。(注:原瓦版は、白黒。わかりやすいように色をぬってみました。)
昨年秋の「ビールが村にやってきた」展では、明治24年にアサヒ・ビールの祖である大阪麦酒会社の醸造所が吹田にたてられ、それから吹田の近代化が始まったことを紹介しました。近代化へと着実に歩みながらも、まだ多くの地域は農村だったことが、1940年製作の吉田初三郎の絵からもわかります。それが一挙に都市へと変貌し始めるのは千里ニュータウンの建設でした。
吹田市農業委員会の統計によると(電話で聞いたメモですから大雑把ですが)、1960年には吹田の農業用地は1115haありました。ところが千里ニュータウンができたあとの1965年には、599ha(もとの54%)、そして万博をはさんで1975年は325ha(同29%)、さらに1985年は214ha(同19%)、1990年は(同12%)、2006年は71ha(6%)、昨年の2008年は68haとものすごい勢いで減少しています。そして、専業農家はもうないとのことです。こうなると、マンション群の中に残る農地がいとしく見えますね。もし、地産地消をやったらどうなることでしょう。
このままでは田園風景が吹田から消えてしまう。農業委員会の主な業務は、農地の保全で、今、市民農園や体験農園をつくるなど、農地を残そうと懸命な努力をしているそうです。今回の特別展で、先人達が営々と築き上げてきた水田-里山という文化遺産である日本の伝統的景観の持つ意味を市民に分かってもらえればとおもっています。
(カンチョー)
コメント
今 吹田で 農業をはじめようと思えば
どっかいいとこありますか?