シンポジウム『森の木と街の木』

7月最後の日曜日、館長招宴うどんの会で讃岐うどんを味わってから講座室ではシンポジウム『森の木と街の木』がありました。これはすいた市民環境会議が「吹田の古木大木」の冊子発行を記念して、知床の森トラスト関西支部、すいた市民環境会議との共催で吹田の自然物語にあわせて開いたものです。
会場には80人を超える人々が集まりました。

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すいた市民環境会議から平さんが「吹田の大木調査から見えたこと」と題して2007年におこなった吹田の大木調査とその結果の考察を発表。

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北海道斜里町の知床財団(知床自然センター)の関根さんが知床100㎡運動の説明と、現在行われている知床の原生林を復活させる活動について報告しました。

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ここからシンポジウム。
コーディネーターはすいた市民環境会議の喜田さん。
パネリストは神戸大学教授の武田さん、垂水神社禰宜の出原さん、知床自然センター理事長の関根さん、すいた市民環境会議の小田さん、そして小山館長の5人。

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シンポジウムは吹田の大木に対し世界自然遺産に登録されている知床の木との話で、当初噛みあわず、さらに信仰の対象としての鎮守の杜もからんで、話はばらばらでした。
知床では木を植えても植えてもエゾシカが食べてしまうのでその対策に苗木の数倍のコストがかかる。

大木は一朝一夕にはできない。長い目でみて育てるのだが行政だけではできない。住民の力が大切。意識を変えていく必要がある。里山などでは伐るところは伐るべき。人間の手をかけたところは、最後まで面倒をみる必要がある。知床はもともと原生林でまわっている。そのままがよい。しかし開拓して放棄した場所だけにまだまだ管理が必要だろう。

垂水神社の杜は杜だけが残ればいいのではない。時代、政治体制が変わっても、変わらないものを大切にし、次世代へつないでいく気持ちが大事。鎮守の杜は神様の山・・・信仰の中で守られて生きてきた。「自然保護」と言って自然を目下に見る発想はおこがましい。神社にも開発や伐採の誘惑がある。その誘惑からのがれる、つまり「何もやらない勇気」というものも大切だ。
神社には杜がある、あたりまえのことをあたりまえに維持することはとても努力がいるのです。垂水の水は1300年間枯れずに出ている。府下の鎮守の森面積の1位は勝尾寺、2位は大鳥大社そして3位が垂水神社なのです。次世代に減らさないで受け継いでいきたい。

都会でマンションなど住宅建設のため木を伐ってるが、植樹して成長するには40年はかかる。
知床でも吹田でも生物多様性基本法が施行されたこんにち、木々のみならず身の回りのすべてのものを「多様な生き物と共存できるかどうか」の視点を通して考え行動するという考え方が大切になってきた。

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カンチョーは博物館ではじめて自然をとりあげることができた。意見の違いを乗り越えて、展覧会をつくりあげることができた。吹田が残念なのは、北摂の山とつながっていないこと。緑の回廊ができないかと嘆きながらシンポジウムは終わりました。

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会場にお見えになった和歌山県田辺市の(財)天神崎の自然を大切にする会の専務理事、玉井さんが世界遺産に登録された熊野古道の森について追加発言してくださいました。

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「行政主催ではないシンポジウムとは、かくも面白いものなのか」と感じた話合いでした。
(こぼら  おーぼら)

           
(てつ)

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