けものと魚からみた環境 -動物考古学の視点から-

帰省ラッシュがはじまった8日、すいはくでは「けものと魚からみた環境 -動物考古学の視点から-」という講座がありました。講師は、地球環境学研究所の内山純蔵先生と琵琶湖博物館の中島経夫先生

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内山先生のお話は「イノシシをめぐる景観 縄文からのメッセージ」。縄文時代の貝塚から出土するイノシシの骨の分析から縄文人の活動を推察するお話でした。
ひとくちに縄文時代といいますが、縄文時代は今から1万6千年前~3千年前にわたる長~い(日本の歴史の8割を占めている)狩猟採集をしていた時代です。そんな時代に貝塚は形成されているのですが、西日本では貝塚は5千年前を境に、パタッと見られなくなるそうです。先生は縄文時代の貝塚が形成される全盛期にできた「鳥浜貝塚(福井県)」と貝塚がきえる直前に形成された「粟津湖底貝塚(滋賀県)」からそれぞれみつかったイノシシの骨の年齢構成やオス・メスの比率、食性などの比較から、縄文人の活動が変化していったことを説明されました。鳥浜のは狩猟されたイノシシ、粟津のは人間に飼われていた、つまり家畜化に向かっていたと考えられるのだそうです。
イノシシの骨のどこを見れば年齢がわかるのか、オスとメスはどこに違いが出るのか・・・などもわかりやすく説明していただきました。
中島先生は、「魚から見た環境」。先生は、コイ科魚類の咽頭骨という顕微鏡でないとみられない部分を研究していらっしゃるそうです。そこからコイ科の進化だけでなく、大陸の動きや日本列島の誕生のようす、古琵琶湖の環境などが見えてくるのだそうです。
フナ・コイを対象とする漁労は、旧石器~縄文草創期にはなかったが、縄文早期~後期になると産卵期のフナを中心とした多様なコイ科魚類がとられており、保存食としていたようです。また、現在絶滅してしまった種が見つかるそうです。それが弥生時代になると、多様なコイ科の漁労がフナ中心のものにかわってゆき、とっていた種の構成が単純になります。そして、養鯉がはじまったと考えられる現象があらわれるのだそうです。
このほか、琵琶湖を中心に活動している「うおの会」についてもお話いただきました。このことについては、カンチョーが乱入して、根掘り葉掘りうかがっていました。参加している人が楽しんで活動しているのが、長くつづけてこられた秘訣のようです。ここ吹田にもうおの会会員がいて、中島先生の応援に駆けつけて来られていました。

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講演のあと、展示解説もしていただき、みなさんからの質問にもていねいに答えてくださいました。ありがとうございました。

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考古学って自然科学なんだなーと思いながら聞いていました。
(こぼら)

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