■半栽培植物のスイタクワイを調べる
阪本先生は、身近な栽培植物(作物)の研究に取り組む中、スイタクワイが半栽培植物ではないかとの仮説をたて、現地調査とオモダカ、クワイとの比較栽培を行った体験を交え、スイタクワイの歴史と人々の関わりを資料に添い、語った。
今から124年前(1885年)の大阪府神崎郡吹田村の地図から説明した。神崎川、糸田川、千里丘陵に囲まれた地域にスイタクワイは自生地していた。この地域は、頻繁に起こった洪水で水の排出が悪く、人家がなく、深田(高湿田)地帯であった。この高湿田に入って採取するため用いた桶沓、クワイ堀りを写真で示した。高浜橋のたもとにあった仲買人の店にも出荷された。年末に「鴨」という藁づとに入れて知人に贈った。“芽を吹く”と称してお正月のおせち料理の一品にされた。また、吹田村御料地の農家から毎年春に京都の禁裏、仙洞、女御、大宮の4御所に献上する献上籠の写真を示した。
明治時代には約10石の収穫量があった。このことからスイタクワイは半栽培植物の1例であると判ったとする研究結果を述べた。
■絶滅が避けられ、保存から普及活動
都市化する中にあって、南吹田在住の木下ミチさんが1955年から自宅前の小さな水田にスイタ
クワイを植栽して保存し、“種継ぎ”をしておられた。1985年に「吹田くわい保存会」が結成され、この種継ぎしてきたスイタクワイの系統保存と、塊茎と種子を増殖し、地域の特産植物の絶滅を避けられる結果となった。そして、一般市民や小・中・高校などで育て、普及活動が活発になった。吹田祭りに「吹田くわい献上行列」が再現され、市内の公園の水場に植えられ、塊茎を素材にした料理が作られるなど、新たなスイタクワイと人々の暮らしの展開がはじまっていると振りかえられた。
また、「なにわ伝統野菜」17品目の中に加えられた。古くから味の良い「豆慈姑」としてその名が広く知り渡っていたと言える。市場販売ベースにのるまで生産が拡がっており、新しく脚光を浴びるに至っていると語った。そして、泉殿宮神社の絵馬に「スイタクワイ」が描かれていると、2枚の絵馬を取り出して、示した。
吹田市民の方々にスイタクワイについて語る機会をもて、感謝しますと述べ、講演を終えた。
■劇団にのいちによる
「すいたくわいが笑った!」
講演が終えて、30分後、劇団にのいちによる
「すいたくわいが笑った!」が多くの子どもと母親が着席する会場で演じられた。
夏休みにふたりのこどもが“冒険心”で農家に入り、農家の人に出会い、そこで見つけた「すいたくわい」とのやりとりをコミカルに演じた。
農薬で姿を消す「すいたくわい」を守る様子と同じく絶滅の危機にあった「ヒメボタル」をとり
あげた。劇で「すいたくわい」の歌が唄われた。暮らしのなかに残された自然の大切さをアピールした。
30分の劇に、笑い声があふれた。
劇が終え、演じた一人一人と歌の作者、劇の作者の代理が紹介され、参加者は和やかな拍手で称えた。
なお、講演、演劇に先立って11時から、「なにわの伝統野菜(夏野菜バージョン)を学び食べる」が「みんなのまちづくり吹田塾」のもと、開かれた。
「吹田くわい」を私も育てていますー写真展が
10月5日(月)~9日(金)吹田市役所玄関ロビーにおいて、「吹田くわい」保存会の主催で開かれる案内があった。
(作成 M)
以上、今回の自然物語をふりかえって
関西大学のMさんがまとめてくださった
「吹田市の自然物語」の講座・シンポジウムの報告でした。(おーぼら)
コメント
Mさんごくろうさんでした。博物館(研究所、大学はもちろん、どんな機関でも)にとって記録というのは大変大切なものです。Kちゃんは映像を、そういえばO君は、破片になって散らばったブログ記事を復元。こういう人たちが増えていけば、すいはくの将来も明るいのではないでしょうか。ありがとうございました。今後もよろしく。