市民委員から見た万博展(館報より) 4/4

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前回からつづく)

一人歩きを始めたブログ
来館者数では千里ニュータウン展に届かなかった万博展だが、「ブログへの集客」では、千里ニュータウン展を大きく上回った。

千里ニュータウン展のブログは、市民委員会に付属するかたちをとったため、千里ニュータウン展が終わり、市民委員会の解散と同時に更新を停止した。しかしブログの双方向性、話題喚起力を目にしてしまった以上、博物館に思いをよせる一市民としては、この力を捨てることもできない。悩んで出した結論が、「千里ニュータウン展」ブログの更新停止と同時に、こんどは市民有志が勝手に運営する新たなブログをスタートし、元のブログからリンクを張るという方策であった。小山館長は「断絶を作るとアクセスが落ちる」と、元のブログのまま継続を望んだが、市民は「市民委員会は解散するのだからケジメをつける」ことにこだわった。今にして思えば、ただ運営主体を変えるだけでそのまま継続しても良かったのではないか…?とも思うが、予想を大きく上回って2年分の来館者数を集めてしまい、市民委員はキャンディーズのような気分になっていたのである。更新停止前の最後の記事は「普通のおじさんとおばさんに戻りたい!-みなさんさようなら」であった。

千里ニュータウン展終了と同時に始めた「勝手ブログ」は、小山館長が懸念したとおり、当初はアクセス数が落ち込んだ。このブログでも元市民委員数名と小山館長が「記入+編集権限」を持ち、「博物館を盛り上げる」ことに関係するテーマであればどんな記事でも自由にアップしてよい…という運用方法が採られたが、当初は「書くテーマ」を模索していた感もある。千里ニュータウン展は終わり(ニュータウン関係の記事も引き続きアップされたが)、万博展を行うことはまだ決まっておらず、そのときの特別展やイベントの内容にリンクしながらも、「核」はない状態だったのである。

この過渡期に重視されたことは、「どんな内容でもいいから記事を切らさない」ことであった。市民活動は本質的に多彩なものであって、千里ニュータウン展でも「一致団結より百花繚乱」が、結果的に最大パワーを引き出した源泉だった。ブログの運用においても、誰が強く統率を取っている状態でもなく、小山館長も「館長は市民に命令はできない」立場を貫いていたが、記事のアップ間隔が開くと「懇切なお願い」のメールが飛び、まるで「神の見えざる手」によって、ゆるゆると紙風船のトスを続けるようにブログは継続された。特派員的な市民も何名かいて、その人は文章と写真をバラのメールで記入権限のあるメンバーに送ってきて「代理アップ」してもらう。記事が蓄積されるほど検索エンジンにもひっかかりやすくなり、驚くべきことに更新を止めた「千里ニュータウン展」ブログへのアクセスも低位ながら維持された。やがて元市民委員の何名かが各自の「派生ブログ」を開始し、そこからのリンクによってもアクセス数はじりじりと再び上向いていった。この状態が2006年いっぱい、約半年間続いた。

2007年に入ると万博展の市民委員が公募され、委員公募の時に提出した作文の転載などから、万博関係の記事が増えていく。万博展のブログ活用が千里ニュータウン展のブログ活用より「進化」した点は、
1.ブログを期間限定の市民委員会の付属とせず、市民が勝手にやっているブログを市民委員会が使わせてもらうかたちにしたこと。これによって市民委員の委嘱期限に関わりなく、ブログを継続することが可能になった。
2.千里ニュータウン展ではカネのかからない「広報手段」としてスタートしたブログであったが、万博展では最初から「ブログ自体が展示であり、催事である」ことを意識して運営されたこと。

スタートも早かった。「常設的に」ブログがあったことのおかげである。万博展では、いわば「エンジンが十分に暖まった」状態でブログ上の話題喚起はできたのであり、この過程で50編に近い「わたしと万博」の体験記もアップされた。千里ニュータウン展では直前準備がドロナワ駆け込み突貫工事的になってしまった「白い壁の恐怖」もあり、ブログ上の記事や反応を「下書きノート」のように利用して、展示・催事の企画が練られていった。

万博展期間中には連日記事がアップされ、熱心な市民によって催事の内容が終了後数時間でアップされるなど、速報性もフルに発揮された。ネットの特性として「全国(いや、世界の)どこからでもアクセス可能」なことがあり、これは万博というテーマに合致したことでもあったし、マスコミ対応においても「すでにブログに情報がある」ことは、事前に名刺やレジメを配っているのと同じ効果がある。

このような学習効果によって、千里ニュータウン展では一日の最高アクセス数が最高でも400前後であったのに比べ、万博展では1000を超える日も出た。アクセス数がこのレベルになると、ブログサービスの全国上位ランキングに顔を出すようになり、それがまた宣伝効果(新読者獲得→常連化)を生んだ。全国ランキング上位に入るブログは、いわゆるノウハウ物や身辺雑記的な内容が多い中で、「博物館の活動」という硬い内容で食い込んだのは画期的と言ってよい。「ブログを読むだけでこんなに面白いのでは博物館へ行く必要がないではないか」と言われかねない熱の入り方であったが、要は市民の知的刺激が高められれば「社会教育」の目的は半分は達成しているのである。

この「勝手ブログ」の一方、博物館の公式ホームページは費用をかけているわりに更新頻度・一覧性に乏しく問題が指摘されていたが、「良識ある市民が勝手にアップできる」ブログの自由さを失わないために、あえて一緒にはしていない。ただしトップ画面の一覧性向上や講師の顔写真を入れるようになるなど、ささやかな改善は公式ホームページにも反映されている。

万博展終了から1年が経過し、「千里ニュータウン展&万博展をした吹田市立博物館を小山修三館長と盛り上げるブログ」と名を変えたブログは(多少の波はあるものの)活況が続いている。アップされた記事は1000件を超え、アクセス数は27万を突破。「千里ニュータウン展」のブログアクセス数も9万に近づきつつあり、合わせると吹田市の人口(35万)を超えた。この数字は15,055名という来館者数以上に、博物館をコアとした市民の情報発信の例として、貴重な示唆を与えている。「元の木阿弥」には戻らなかったのである。万博から39年、やはり千里の丘は未来の何物かを生み出す力を秘めているのだろうか。

(by okkun 2009.1記)

…って書きあげた次の月に、Doblog沈没しちゃったんだよな~…歴史って、皮肉。

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