古代摂津国を考える:春の特別展にむけて

2/14日(日)高橋真希、学芸員の講演がありました。これは4/24日(土)から開催される春期特別展「古代摂津国考ー難波の宮と吹田」の構想を述べたものです。

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摂津は、国としてはやや不自然で複雑なかたちをとりながらできあがったようです。その理由の1つは、首都である難波(長柄豊碕)宮があったこと(645~667)、もう1つは大陸航路のターミナル港(津)があったこと。しかし、国制が整備されたあとの延喜式には山城、大和、河内、和泉とともに畿内として分類されているので、当時の日本の中心に位置していたことがわかります。

吹田市は摂津国の一部で、そのなかの豊嶋郡(池田市、豊中市も)と嶋下郡(茨木市)にまたがり、嶋上郡(高槻市)ともふかい関係にありました(もとの三嶋郡が2分された)。

弥生時代に水田稲作農業が取り入れられて生産力が向上し、日本では(ヤマタイ国に代表されるように)階層性の明らかなクニの形成が始まり、古墳時代を経て大和朝廷の形成につながっていきました。そんな、社会・経済変化の激しい動きのなかで、人々はしたたかに生きていたことが、五反島遺跡、垂水南遺跡、吉志部、七尾の瓦窯跡、木簡、墨書土器などの考古学遺物や遺跡、続日本紀、新撰姓氏録、延喜式などの記録から伺うことができます。

特別展の内容(講演会、イベントなど)については追って詳しく報告いたします。

(カンチョー)

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