先に載せた『縄文ファイル』にこんな記事が出ていました。
コメを炊けば自然とニギリメシはできそうですが、考古学的に追求すると・・・。
2009年の夏、横浜市・北川表の上遺跡で、古墳時代後期の竪穴住居の床面から出土した約15cm角の炭化米の塊を調べた。塊にはカゴの網目模様の圧痕があり、これは弁当箱のあとらしく、CTスキャンをしたところ、なかは8個のかたまりがあった。米粒の摺り具合から判断すると、玄米に近い。このことから古墳時代には玄米のにぎりめしを食べていたことが分かった。
もう1つの例は、テレビドラマ「天地人」にも登場した新潟県妙高市の鮫ケ尾城遺跡で戦火に焼かれ、炭化した三角形のコメの塊。CTスキャンすると外側は密度が高く、内側は粒の形があって、空壁ができていたので、にぎりめしと判断、ただし、なかに梅干しは入ってませんでした。(植物考古学者の佐々木由香さんの講演から)
『縄文ファイル』は、月刊で12p。
1995に三内丸山遺跡が全国的にブームになったころ青森の有志が自発的にたちあげた「三内丸山縄文発信の会」で、2003年にNPO法人。講演会、新発見記事、各地のボランティア活動などの報告を乗せ、活発に活動しています。年個人会費は10,000円です。応援してあげてください。
(カンチョー)
コメント
戦国時代に三角結びがあったのね。俵型か餡パン型だと思っていました。
昭和中期の貧しい炭鉱町は餡パン型ばかりでした。しかも大きい。
梅干しが入っていた、or味噌をつけた焼き結び。
あー、昔が懐かしい。