どれみは蘇らしぃ?

画像延喜式には蘇という食品が記載されている。牛乳一斗を一升にコンデンスする、とあるのでクリーム、バター、あるいは(豆腐の)湯葉のような乳製品だったと思われる。しかし、現物は残っていないので、実物がどんなものであったかは記述から推測するしかないのである。食すれば胃腸によい、口内炎に効く、美肌になるとあるので、食品というよりは薬だったようだ、あるいは上流階級に限られた特別な食だったのだろう。

蘇の貢納については、全国を6つの地域ー1.伊勢から相模までの東海 2.(伊賀を含むが)武蔵、常陸などの関東 3.美濃、信濃などを主とする中部 4.越中、越後などの日本海沿岸 5.太宰府(九州)6.播磨、長門、紀伊などの山陽・南海道ーに分け、毎年約100壺を6年に一回の順番で納めるとある。そうすると、その生産体制は意外と大規模で組織的であったと思われるのである。

肥えた牛から日に8合(12.5㍑)がとれ、痩せた牛はその半分とある。したがって、もし400㍑の乳を確保しようとすれば、肥えた牛で12.5頭が必要である。しかし乳をだす牛(子供を産み授乳する)の数はかぎられるはず、そうすると各国に相当数の数の牛がいたことがわかるのである。

乳製品の利用は日本食文化のなかで、平安時代以降、明治の文明開化まで、ほとんどその姿を消してしまう。それが、蘇の正体を不明にしている最も大きな原因だと言えるだろう。

(カンチョー)

コメント

  1. 出張たんぽぽ より:

    4月24日の博物館「古代食イベント」では、吹田産の「蘇」を食していただきます。その他赤米おにぎりなど当時を偲んでくださいね。

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