現在開催中の「古代摂津国考」は考古・歴史に焦点を絞ってきた当博物館のいわばオーソドックスな展示となった。今回とくに力を入れたのは「講演」で、ラインアップからわかるとおり、稲作を基盤として弥生時代から現代へと直線的につながる国史のなかで、吹田という一地方がどんな位置を占め、どのような役割を果たしたか明らかにしようとした。講師は館員だけでは無理なので著名な方や若手研究者をまねくことにした。
準備の段階で、館長も責任の一端を担う必要があると思い、講演をやることを申し出た。ご存じの通り私は民族学者として、オーストラリア・アボリジニ社会やアメリカ北西海岸諸族のフィールド調査にあたっていた。ところが、本人は考古学者とおもっているふしもあり、縄文時代の人口とか社会組織などを語るので、日本の主流考古学からはヘンな奴とおもわれているようだ。
もともと、大学院生(もう40年以上前になる)として専門的な論文を書き始めた頃は、古代史に興味があり、とくに『延喜式』には大変お世話になった。*1 講義の準備を始めてみると、綿密に資料を調べることなどできなくなっているほどに老いぼれてしまったことに気づかされた。しかし、そこは長年とった杵柄、細部にこだわる学者ならともかく、一般教養人に対してなら、なんとかなるだろうと思った(自信過剰?)。じつはまだ、構想の段階なのだが、講義をつくりあげるまでのプロセスをみせるのもいいのではないかとおもいこのノートを公開することにした(このノートが本番でどう化けるかを見ていただくのも一興でしょう)。
あらあらの筋は、以下のようになると思います。
1.摂津という国の不自然さ
2.海の商人からの視点:ヤマタイ国の伝統
3.経済基盤:農業、工業、労働力
4.貨幣経済の浸透と崩壊する律令
*1 小山修三 1970 「古代アワビ産業の発達」 『国史学』81:18-39
(カンチョー)
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