★講演会★交通が変われば 自然が変わる

8月21日(土)午後2時から関西大学文学部教授・野間晴雄先生の講演会がありました。
野間先生は地理学が専門ですが、アジアの農村の研究をしています。昔から鉄道が好きで、地形図と鉄道との関係に興味があったのできょうは交通工学というよりは地形と交通とのかかわりを過去にさかのぼって語っていただきました。
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明治18年に作られた吹田の2万分の一の地形図(仮製地形図)と現在の地図を比べながらの講義(この二枚の地図は展示場で展示してあります)。

まず道について
自然発生的な道は起伏の少ないところにつくり、障害物をさけ、集落を結んでできていた。距離よりも歩く容易さが基本だった。しかし(西国街道など)幹線道路は地形を無視して直線的に作られたところもある。江戸時代には集落の防衛のため街道を人為的に曲げた場所もある。明治時代につくられた地図にはそのような部分が見られる貴重なものだ

吹田について
東京に比べると大阪の地形は上町台地を除いては単純だ。上町台地に難波宮や四天王寺が造られ、上町台地の西は海、東は内湾、湖だった。明治になって上町台地には帝塚山などの住宅地が作られた。
吹田は海と千里丘陵との間にできた。高浜あたりは吹田砂堆(さたい)にあり現在の吹田駅のすぐ北には丘陵が迫っている。片山村は千里丘陵の傾斜がかわるところ(丘陵と平野部との移行地帯)にできている。

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垂水村は(現在の豊津駅の西)低地で南北にひろがって集落がある。阪急千里線は丘陵の谷をのぼっていく形で造られた。豊津、関大前から千里山まで急な坂を上るので現在でもスピードが出ない場所だ。千里ニュータウンや万博に合わせて作られた千里山駅以北は、地形にとらわれず丘陵を掘り割ったりトンネルを作ったりして傾斜を少なくしながら北上している。そのため急速に電車のスピードが速くなる。

明治18年の地形図では関大から千里山付近は水田や果樹園、雑木林だった。家はなかった。わずかに丘陵の傾斜部にへばりつくようにして比較的大きな佐井寺の集落があった。山田村はニュータウンとは別に千里丘陵の谷筋にひろがった江戸時代からの古い集落だ。このように吹田には平野部と谷筋に集落があったのだ。一方、新しい吹田のほとんどは千里丘陵の地形を改変して造られたまちだ。

鉄道と自動車交通を比べると、鉄道は線路の上しか走れない。鉄路と鉄の車輪との粘着力の少ない乗り物だ。自動車の場合はタイヤと道路との粘着力は鉄道よりも大きくエネルギー効率は鉄道よりも悪い。自由にどこにでも行けるが大量輸送には向かない。鉄道は少ないエネルギーで大量のものを運べる。つまり貨物を大量に運ぶために明治時代につくられた。石炭輸送のため炭田と港を結ぶ路線が明治の初めに国策として造られたのだ。
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現在のJRは東京・鹿児島といった遠距離の輸送よりも京都・神戸間のような近距離輸送に主眼を置いている。JRは駅間が長かったが最近は短くなっている。当初は大阪の次は吹田、そして茨木であって岸辺駅はなかった。

明治18年の地形図からわかること
○吹田は平地、丘陵、その境界に扇状地があってそこを道路が結んでいた。○丘陵には生活のための小さな道路しかなかった。○大きな街道は平地か丘陵との境目に存在した。○丘陵部には水田(棚田)や果樹園が広がっていた。○しかし急傾斜地は里山や雑木林になっていた。これが吹田の姿だった。

この姿の吹田で千里山の住宅開発から高い尾根をけずって谷を埋めて新しいまちを造ってきた。電鉄会社は当初、千里山は墓地にする計画だった。次いで関西大学を誘致し、遊園地も造って乗客を増やそうとした。線路の一部は国鉄の線路を利用している。神崎川鉄橋の橋脚は明治時代の国鉄が作ったものを現在も利用している。
ニュータウンでは丘陵をさんざん削ってきたもの現在でも丘陵は残っている。高齢化してくると住みにくいまちになってきた。

吹田の問題/特徴
駅前ロータリーはJR吹田・岸辺・南千里にはあるが千里線の千里山以南には見られない。もともとは駅から降りるとすぐに住宅があったのでタクシーが必要なかった。大阪市の郊外にありながら吹田は駅前が発達していないことが特徴だ。
さらにたくさんの駅があるが丘陵地はバスしかない。定時走行がすくない。定時走行できるシステムがほしい。しかしシステムができても利用者が少ないと意味がない。運行頻度、料金など利用者を増やす仕組みが必要。公共施設や商店などの配置も必要。さらに高齢化した人をまちに誘導するシステムも必要だろう。
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館長乱入
カ)駅はたくさんあるが昼食したい場所がない。阪急、JR、ニュータウン何が悪いのか。
野)岸辺駅はあとからできた。国鉄は開発する気はなかっただろう。大阪の次は吹田・茨木だった。
阪急も千里線を作ったときはバス交通など考える必要がなかった。
さらに阪急は官(=国鉄)に対抗する気概が強かった。いまだに梅田と称してJR大阪駅へのアクセスを改善する気はない(と見える)。これらのことを調整してこなかったor調整できなかった吹田市にも問題はあろう。

カ)阪急駅前に市役所があるのに阪急吹田駅前や市役所周辺を改良してこなかったことが不思議でならない。
野)吹田市はニュータウンには力を入れてきた。結果として南千里から北は大阪府の金も入ってるので住みやすいまちになってるが、そのあいだの千里山から南千里に行く道の現状は・・・
カ)千里山から南千里へは歩いて行けないと思ってました。(笑)

(おーぼら)

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