「坪井先生の卒寿を祝う会」が京橋の京阪ホテルでありました。北海道から沖縄まで、200人近い人がやって来て大盛会でした。坪井先生は、平城宮跡の発掘にかかわり、奈良文化財研究所所長として、戦後の経済発展とともに急増した埋蔵文化財行政を組織化、考古学を一般にも親しまれるものにした人です。私としては1960年代に書かれた一連の縄文時代に関する論文に大きな影響を受けました。
お礼の言葉のなかで、先生は「研究と行政のハザマで、苦しみもあったが楽しい仕事ができた」と述べ、「考古学の成長のプロセスを見守ってきたが、これから崩壊していくのはみたくない」といつもながらの毒舌でしめくくったことに、むしろ、これからの考古学に対する期待の大きさだと感じました。聴いていると、マスコミ関係の人がきて、『梅棹忠夫 語る』のつぎは、『坪井清足 語る』はどう?といわれて苦笑い。だってたいへんなんだもん。
(カンチョー)
写真:Sさん撮影
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