ゴリラ、東アジア、グローバル: 比叡会議に出席して

日本はこのままで大丈夫だろうか?低迷する経済、安定しない政権、拡大する社会格差、グローバル化の弊害、中国においこされ、韓国においつかれ、北朝鮮に狙われているなどなど、マスコミがかきたて、わたしたちもそれにあおられ不安が募る。それは正しいのか?もしそうなら、どうすればよいのか、どうしなしなければならないのか、を考えるため、産・学有識者があつまった比叡会議が12/10、11にひらかれた。
IBMの後援による 各地域有識者会議は、1970年の天城会議にはじまり、現在10ヶ所で開かれているが、比叡会議は京都を中心として今回で28回を迎えた。梅棹忠夫さんの文明学をベースに、独自の伝統を作り上げ注目されている。

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本年のテーマは「21世紀に求められる文明とはなにか」。3つのキーノートスピーチがありました。
はじめに情報科学の石田享さんが世界中のどんな言語でもコンピュータの媒介によって通じるようになる「言語グリッド」サービスの構築と利用、そ して日本、韓国、マレーシアなどの子供たちがそれを使って交流する様子の紹介がありました。これはエスペラント語のように新しくく言葉を学ぶので はなく、それぞれの言葉をコンピューターのばいかいによってつなげるというものでした。もしこれが実現し(いまはヨーロッパ、東・東南アジア、ア メリカなどに限られている)、もっと手軽になれば(たとえば携帯電話くらいで)、素晴らしいというか恐ろしいというか、驚くべきグローバル・ツールになるでしょう。

第二は漢文文化学の金文京さんで、19世紀まで東アジアの共通言語(文字だけでしたが)だった漢字について。面白かったのは仏教の影響で、経典を サンスクリットから漢文にした努力、日本人が漢文を読むために、一、二、三、上中下、レ点などをつける工夫をしたプロセスを精しく説明してくれたことでした。

最後は、霊長人類学者の山際寿一さんがゴリラについて。ゴリラの言語(?)は20ほど。他のコミュニケーションは見詰め合う、さわるなど。それで もやさしく平和的なゴリラ社会を見ていると人間社会はどこかで間違ってしまったのではないか、ゴリラ社会にこそ人間社会の紛争すを解決する道がある、それは共感ではないかという話でした。小さな集団で暮らすゴリラの話は、むかし住み込んだアボリジニの村につうじるところがあり、たいへん共感を覚えました。

そのあと、分科会を作って討論、夜は酒を飲みながら(飲まない人ももちろんいますが)放談、次の日は朝から討論。もちろん議論百出、すっきりした結論は出るはずもありません。それでもみんなけっこう激しくげんきでした。蒲柳の質であるわたくしは、アルコールは残るし、腰や背中は痛むしで、 国を憂えるのもたいへんだとおもいました。

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梅棹さんは、第二次大戦後、意気消沈した日本人にむかって、これくらいで日本はつぶれるものか、今からきっと発展するとときつづけました。それにならって、わたしたちも元気にやりたいと思っています。今のワカイモンはと嘆くのは石器時代から始まってたそうだねと話している人がいました。 IBMは子供たちの比叡会議を計画しているそうです(詳細はしりませんが)。公募というわけにもいかないので、ご推薦いただきたいとのことでした。

(カンチョー)

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